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三戸郡三戸町梅内字城ノ下。
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三戸城跡内(三戸町城山公園内)。
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御祭神は旧南部藩藩祖、南部三郎光行命。明治11年創建。大祭は8月21日。
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狛犬一対(平成3年4月吉日)。
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石灯籠一対(平成3年4月吉日・南部公入部八百年記念)。
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手水舎。
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手水石。南部対鶴。
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さいかち(樹齢約400年)。
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下部が埋まっている手水石(明治25年4月・留﨑村中)。
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糠部神社は三戸城の中央に鎮座。明治9年2月神祭を上願し、同10年2月27日に許可となり、同11年12月1日に社殿が落成し、同月3日の鎮座大祭を行ないました。同12年2月社格を上願し、同6月26日に県社。この神祭の主唱者は横道に住んでいた佐藤連之助で、二戸・三戸・上北・下北四郡の旧藩士に呼びかけて創建したもの。大祭は古くは9月に行われましたが、現在は8月21日に執行。初めの頃は流鏑馬の行事も行われましたが、後に相撲、剣道が行われ、大正の頃には城山グラウンドで自転車競走が行われました。現在は行事らしい行事はないものの、5月1日の春祭は桜まつりの期間中であり、社前は花見の人で埋め尽くされるほど賑やかになります。明治24年11月10日に火災に遭い、社殿宝物悉く焼失し、同27年9月21日に再建されたのが現在の社殿。宮司は代々南部藩士の流れをくむ者が就任していましたが、現在はそのしきたりはありません。
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青森県神社庁によりますと、三戸在住の旧南部藩士族佐藤連之助氏が主唱者となり、二戸、三戸、北三郡の有志と尽力し、明治9年に南部藩祖南部三郎源光行公を御祭神とする糠部神社の創建を上願し、同10年2月27日許可。翌11年に社殿落成し、12月3日に鎮座大祭斎行。明治24年11月に炎上し、南部家奉献の宝物をはじめ悉觜鳥有に帰しましたが、有志等の尽力により27年9月に再建。遷宮祭を挙行し南部家より御馬代初穂、甲冑一領、弓二張等が奉献されました。明治12年縣社に列格、明治39年11月24日神饌幣帛料供進指定。
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拝殿前の杉の御神木。
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城山の杉(糠部神社御神木)一本…『三戸町指定天然記念物(昭和56年9月指定)。大きさ:胸高幹周9.52m。樹高22.00m。推定樹齢:800年(「日本老樹名木天然記念樹」による)。沿革:三戸城は永禄年間(1558-70)の築城であるが、それより先、建久2年(1191)入国した初代南部三郎光行公の着想により当城山は防衛上の拠点とされたともいわれる。樹齢800年は、光行公時代に該当し、当地方最古の杉の木である。光行公を奉祀する糠部神社の御神木としてもっともふさわしい杉の大木である。平成2年9月三戸町教育委員会』
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社殿向拝。
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向拝下神額。
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拝殿内。
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社務所。
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車祓所。
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豊臣秀吉朱印状の碑…『覚 一、南部の内七郡の事、大膳大夫の覚悟に任すべき事。一、信直妻子は在京定め仕る可き事。一、知行方検地せしめ台所入丈夫に召し置き、在京の賄相続け候様に申し付く可き事。一、家中の者共、相抱える諸城悉く破却せしめ、即ち妻子は三戸へ引寄せ召置くべき事。一、右の条々異議に及ぶ者これあらば今般御成敗を加えらるべく候条、堅く申し付く可き事。以上。天正十八年七月廿七日 南部大膳大夫とのへ』
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本殿玉垣にある門。
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本殿。
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