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三戸郡三戸町斗内寺牛。曹洞宗普門山林泉寺。法光寺末。近くには白旗神社斗内千人塚があります。
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御本尊は釈迦牟尼仏。
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法光寺12世でもあった当寺第1世風山慶門大和尚が貞享元年(1684)に現在地から約1キロ離れた斗内田畑に厳木山林泉寺を建立。第7世月泉吟峰大和尚の安永3年(1774)2月に現在地に移転。
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一説によりますと、その寺は火事で焼失したともいわれ、焼失した当時の住職は、人一倍小豆が好きで、いつも小豆ばかり食べていたので村人から「あずき坊主」と呼ばれていたそう。ある日、いつものように小豆を煮ていましたが、他の用事をしているうちに出火し、寺を焼いてしまったと語り伝えられています。しかし、天明元年(1781)第7世月泉吟峰大和尚が秋田県小豆沢の吉祥院に転出しているため、そこから小豆話がでたのではないかとも伝えます。
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地蔵尊。
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おそうじ地蔵。
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水子地蔵尊。
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聖観世音菩薩。
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聖観世音菩薩。
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平成元年10月18日林泉寺本堂新築記念・16世奥瀬啓道代。
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延命地蔵尊。
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林泉寺本堂新築記念碑…『普門山林泉寺は元禄年間に法光寺十二世風山慶門大和尚開山し法統連綿、禅風恢弘して年あり、降て安永三年高間舘田畑より此の地に移転し当寺七世吟峰代に本堂を再建し今日に到りし處、腐蝕老朽甚だしく、又趨勢を鑑み、檀信徒斉しく新築の望みを同じうして願を発せり、依而幾度か協議を重ね、満場の合意を得て、未だ曾てない多額の御寄付を仰ぎ、相共に、東奔西走、良材を鳩め、又、良工を撰定し、境内隣地を購ない、工事に着手し、日夜督励し、以て平成元年八月、面目一新、一大伽藍の竣成をみる、感激何ぞ堪えん。浄域山を負い、陽位に面く清川を抱き、村落を俯瞰するの佳境なり、曉昏の鐘磬必ず人心をして醒覚せしめ、佛法興隆の佑啓とならん。平成五年九月吉日本寺老大和尚を拝請し、近隣寺院、法類全檀信徒、相集い、開山忌、先住忌、晋山落慶の大法要を営む。斯に檀信徒及び、十万有縁の篤志者に衷心より感謝し、併せて御芳名を録して後昆に遺す。当山十六世代圓通啓道合掌。平成五年九月十八日。(以下總代役員氏名・世話人氏名・寄付者氏名は省略)』
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子持ち石(子宝石)。
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子々孫々子宝に恵まれますように…
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