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大円寺(東京都目黒区)』からの続き。
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阿弥陀堂。元明王院。
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阿弥陀三尊が祀られ、その手前にはお七供養の木彫地蔵尊があります。
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阿弥陀堂前。
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大圓寺道祖神。
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一般的な説明のため省略。
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摩尼車。
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一般的な説明のため省略。
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西運上人の碑。
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八百屋お七と吉三(西運)…『江戸時代本郷の八百屋の娘お七は天和2年(1682)の火事の際、自宅を焼かれしばらくの間、駒込の円林寺に仮住まいしており、その時に寺小姓の吉三に恋したという。お七が16才、吉三が18才でした。恋こがれたお七は、吉三に会いたい一心で翌年自分の家に放火したために、江戸市中を引廻しの上、鈴ヶ森の処刑場で火刑に処せられた。その後、一方の主人公「寺小姓吉三」はお七の処刑後、僧となり名を「西運」と改め諸国を行脚、後に大圓寺の下の明王院(現雅叙園)に入ってお七の菩提を弔うため、往復十里(約40km)の道のりを浅草観音まで夜から明け方にかけて鉦を叩き念仏を唱え、隔夜日参り一万日の行を27年と5ヶ月かけて成し遂げ、お七が夢枕に立って成仏した事を告げられたことから、「お七地蔵尊」を造った。又、西運は多くの江戸市民から浄財の寄進を受け、これを基金に行人坂に敷石の道を造り、目黒川に石の太鼓橋を架け社会事業の数々を行った。』
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観世音菩薩像。
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仏心閣寂光殿入口。
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六地蔵。
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仏心閣寂光殿の方にも気になるものはありましたが葬儀中だったため遠慮。ちなみに頭だけの狛犬がありますが、胴体は目黒不動尊(瀧泉寺)の独鈷の滝付近にあります。都内最古(承応3年)の狛犬であり、明治期に目黒不動の境内で破損の激しいこの狛犬が処分されようとした際、あわれに思って吽形の頭部のみを引き取ったものらしいです。
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釈迦堂。
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生身の釈迦如来と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)が安置されています。
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『京都清涼寺の釈迦如来像の模刻。鎌倉時代には、釈迦信仰の復古的な高潮によって盛んに作られました。大圓寺の釈迦如来像は、胎内から鏡や結縁者戒名等を記した紙片・女性の髪・木札などが発見され、鏡には、「建久四年舟治氏乙犬丸」の線刻銘があり鎌倉大仏を鋳た舟治氏と同姓の工人の名が記されています。年代の明らかな清涼寺式釈迦像の中でも建久4年は最も古い釈迦像です。生身の釈迦像として、像の胎内には人間の胎内にあるのと同様の五臓が絹や綿の布で作られ、文書や経巻、宝玉などとともに納められています。』
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手水舎。
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地蔵様と摩尼車。
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後方にもたくさんの地蔵様。
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大円寺石仏群(東京都指定有形文化財・昭和45年8月3日)…『明和9年(1772)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦3年(1657)の振袖火事、文化3年(1806)の車町の火事と並び、江戸三大火事の一つに数えられている。「新編武蔵風土記稿」には、大円寺境内の五百羅漢は行人坂の火事で亡くなった人々を供養するために建立されたと記されている。大円寺境内の北東側斜面に、520躰の石仏群が安置されている。左右に文殊菩薩・普賢菩薩を配した釈迦三尊像を十大弟子と十六羅漢が囲み、背後に491基の羅漢像が並ぶ。造立年代は、五百羅漢の中に宝暦13年(1763)の刻銘もあるが、多くは釈迦如来の刻銘天明元年(1781)以降の造立と思われる。嘉永元年(1848)に大円寺が再興された時、これらの石仏もここに安置されたと考えられる。像高は、釈迦三尊像が147-155㎝、十大弟子像が55-126㎝、十六羅漢が95㎝、五百羅漢像が37㎝前後。判読できる銘文によると、行人坂の火事以外の供養も含まれているようである。また、広く勧進を募り、時間をかけて今の石仏群が作られたことも読み取れる。江戸災害史の貴重な資料である。平成23年3月建設東京都教育委員会』
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石仏群!
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凄い数!
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私と同じ顔のお方は…
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とろけ地蔵尊…『江戸時代品川沖で漁師の網にかかって出現された地蔵尊です。庶民の悩みを解消して下さる信仰が有ります。』
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他にも境内には色々あります。三猿・大黒天。
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みがわり地蔵尊…『お地蔵様二躰でわざわい・なんぎなど右左・左右といれかえていただける信仰です』
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天台宗大圓寺社会事業の由来・大圓寺福祉作業所「竹の子坊」碑。
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庚申塔(向かって右から寛文8年・貞享元年・寛文7年)。
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庚申塔(天台宗の三諦の教えに由来する。)…『サルが庚申塔に登場したのは室町も末。庚申待ちの夜阿彌陀・観音・山王などがまつられ庶民を守ってくれた。』
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行人坂敷石造道供養碑・障害者就労救済施設大円寺ボランティアセンター建築(天台宗開宗1200年記念事業)碑。
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行人坂敷石造道供養碑(区指定文化財・大円寺境内)…『この供養碑は、高さ164cm。碑の上部に種子(梵字)キリーク.(阿弥陀)サ.(観音)サク.(勢至)が刻まれています。下部の碑文によって、この坂を利用する念仏行者たちが悪路に苦しむ人々を救うため、目黒不動尊や浅草観音に参詣し、通りがかりの人々から報謝を受け、これを資金として行人坂に敷石の道を造り、この成就と往来の安全とを供養祈願したことがわかります。施主は西運で元禄16年(1703)の紀年があり、江戸と目黒の社寺を結ぶ重要な参詣路であった行人坂開発の歴史を知るうえに貴重な歴史資料です。平成3年3月目黒区教育委員会』
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