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名川チェリリン村。
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農林漁業体験実習館チェリウス、そばの里けやぐ、名川センターハウス、ケビンハウス、オートキャンプ場などがあります。
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中でも有名なのが龍神タワー。日本一の高さ(33m)を誇るアスレチックタワー。最上階まで22のアスレチックがあり、頂上からの絶景を楽しめます。
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ってことで龍神タワーに向かうと…
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設備老朽化の為龍神タワーは使用出来ませんとのこと。
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高所恐怖症なので、最初から使用する気はございませんでした。見に来ただけです。
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私には絶対無理です。
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下から見てるだけで怖いわー。
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特にあの辺り。
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私と相互リンクしてくださっているこちらのブログも参照ください。設備老朽化で使用禁止になる直前に行ってるようです(笑)
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チェリリン村総合案内所駐車場にこのような案内板がありました。「百姓一揆の大渋民山」…『元禄15年(1702)3月7日八戸藩で法光寺水澤附近を煙山七郎兵衛へ替地に遣わし処、百姓共は耕作地実地検見は迷惑とし耕作放棄を申し新地頭排斥運動を起こし蓆旗を立てて大渋民山に立て籠った。藩は首謀者4人牢入り、5人組には食事差入れを命じたが、名久井名主達連判の助命嘆願で3月16日釋放となる。安永7年(1778)この年の冬鳥屋村の首謀者2人に村役人乙名達11人が加わり地頭の煙山七郎兵衛宅へ徒党乱入し人質をとり蓆旗を立てて大渋民山に籠った。知行所の村役人達も参加故、煙山氏の村政に反対の一揆である。結果は煙山氏は拝地取り上げとなったが、首謀者達は軽い刑で許された。元禄の一揆から約80年で百姓達は初志を貫徹した。幕政に従って領民絶対服従の藩政のがんじ搦みの百姓も何かをきっかけに一揆へと進む世態となり支配者の権威がだんだん弱化して来たことを示している。この八戸藩でも次第に増え、寛政7年(1795)と天保5年(1834)の大一揆となり家老辞職、藩主引退に追込んだのである。名久井の一揆はそのさきがけとして歴史上有名である。平成11年3月名川町教育委員会』
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