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かつては鳥居もありましたが無くなっていました。木も伐採されています。石神裏という変わった住所はここに由来するのかも知れません。
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中央には小さな穴がたくさん見られる大きな石があり、その周囲には様々な小さな石がたくさん添えられています。特に細長い石が多く見られることからコンセイサマかと思ったのですが、「野辺地町商工会サービス部会新聞遊人 aspito」に次のような説明がありました。
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元は江戸時代にこの付近の大家上野十郎兵衛一族の大謀網に掛かったのが始まりとされます。石は意外に軽いもので軽石かも知れないとのこと。また、かつてはもっと大きかったのですが風化して小さくなったとのこと。
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夢の中で石が十郎兵衛の屋敷に行きたいと告げられ、上野家の屋敷裏に祀られましたが、その後、表通りに出たいとのお告げにより現在の場所に移動したそうです。また、野辺地の町外れにあり、病気や厄災を守護しており、この通りでは交通事故もない(あっても大事には至らない)と云われています。
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石神様は女(母)の神様で子どもが大好きであり、周囲にある石は子どもに見立てたものとの言い伝えもあるようです。子どもがいたずらをしたり、おしっこをかけてもバチが当たらないほどらしいです。
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この石神様を管理する責任者はおらず、この付近の方々が共同でお世話をしてきたそうです。毎年3月27日には祭りが営まれ、地域の人たちで石神様を護持してきましたが、昭和40年頃からはその繋がりも徐々に薄くなり、最近では一部の有志だけで維持しているそうです。
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でもやっぱりコンセイサマに見えます。
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敷地内に歌碑があります…「石神やいのる心のかたくしてつとむる人の末ぞ栄ゆれ」
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裏面に紀年銘並びに奉納者…「昭和12年金澤町安田栄次郎67歳」。安田氏が我が子の出征と生還を嘉して詠んだ歌碑です。余談ですが野辺地八幡宮にも安田栄次郎の歌碑(昭和10年)がありました。
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