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青森市石江平山。国立療養所松丘保養園内。隣には教会やお寺なども建ち並んでいます。
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彌廣神社由緒…『御祭神:天照大御神・明治天皇・貞明皇后。当社は昭和13年に創建され施設内療養患者の篤い崇敬を集めていましたが、戦後GHQの指示により解体を余儀なくされました。この状況に、救癩事業に努める全国敬神婦人連合会は昭和44年に彌廣神社再建を決議、全国に募金を呼びかけるとともに同年に遷御された伊勢神宮の饗土橋姫神社の御社殿を賜り、昭和45年11月に再建されました。さらに平成26年には、青森県神社庁を中心に再び募財活動が展開され、板垣並びに青森ヒバを用いた見事な鳥居が改築されました。これら諸施設は、松丘保養園に寄贈され、青森県神社庁管理のもと、毎年9月に青森県敬神婦人会の清掃奉仕と演芸奉納、青森県女子神職協議会による神事奉仕により彌廣神社の祭典が継続されております。平成27年4月吉日青森県神社庁々長島浦千晴拝書』
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まさかの饗土橋姫神社の元御社殿です!!
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同じ内容ですが、廣田神社のHPにも「昭和13年に当時の院長により患者の心のよりどころとして彌廣神社が創建され施設内療養患者の篤い崇敬を集めていましたが、戦後、GHQが国立医療施設内に神社を奉斎することを認めず、彌廣神社は解体されます。しかし、昭和45年に全国敬神婦人連合会の呼び掛けにより再建されました。全国でも国立医療施設での神社再建されたのは青森を含め3件のみと大変貴重な神社であります。以後、青森県敬神婦人会の清掃奉仕、演芸奉納、青森県女子神職協議会による神事奉仕により祭典が継続されています。」とありました。
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石灯篭一対(昭和13年6月3日)。
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社殿へ。
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入所者の皆様方に御加護があらんことを。
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額束。
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周囲には「伯爵津軽義孝閣下」「皇太后宮大夫大谷正男閣下」など錚々たる面々の植樹記念碑がいくつかありました。
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皇太后宮御歌碑(皇太后宮大夫入江為守謹書)…『徒然の友となりても慰めよゆくこと難き我にかはりて』
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中條資俊先生之像。
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裏面碑文…『從三位勲二等醫學博士中條資俊先生は明治5年11月7日山形縣南置賜郡塩井村に生れ醫學を千葉醫學専門學校に修め傳染病研究所に入りて細菌學を北里博士に學び明治42年北部保養院創設に際し醫長に擢でられ次で院長に任じ爾来終始一貫昭和22年3月1日松丘保養園内に於て長逝せられるまで青森郊外所在の癩療養所長として盡瘁せられた至誠の人中條先生の生涯は尊くも日本の癩に捧げ盡されたのである。元厚生省豫防局長從三位勲二等醫學博士高野六郎撰』
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