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曹洞宗鳳凰山玉林寺。本尊は釈迦牟尼仏。秋田三十三観音霊場第31番。浅利氏の菩提寺で古い歴史を持ちます。
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由緒沿革…『今から約450年前「大永7年西暦1527年」当時比内領主としてこの地方を支配していた豪族浅利與市則頼がその居城、鳳凰山の麓に一宇(寺)を建立し松原補陀寺の九世草庵守瑞禅師を請して開祖とし浅利一族の菩提寺とした。数年後、東館村獨鈷の本城下、和田山に移転し、慶長7年「西暦1602年」現地に再移転した。その後寛永17年、寛文年間、延宝4年、文化3年、大正8年等の大火に類焼し、昭和6年9月現在の建築「本堂」となった。更に鐘樓堂、山門などを造營し、昭和42年時代の要望に應じて現在の庫裡を完成した。浅利一族の没落後は一切の支配勢力を結ばず専ら庶民の信仰を得て今日に至っている。参考…宗教団体法による法人たる宗教団体となり、宗教法人令による宗教法人なり。現住職は玉林寺第26世なり。』
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格地昇等記念碑。
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しだれ桂。
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十二支地蔵尊。
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六地蔵。
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三界萬霊塔。
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鐘楼堂。
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鐘楼。
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楼門形式の山門。
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仁王像。
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手水舎。
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本堂。
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大館郷土博物館HPによりますと…『曹洞宗。本尊は釈迦牟尼仏。浅利則頼が久保田松原の補陀寺の9世草庵守瑞に帰依し、大永年間(1521-28)に鳳凰山に建立した。天文年間(1532-55)の「浅利則頼分限帳」に「御位碑所、寺領七百刈、御菩堤所、玉林寺、右ハ十狐村和田に旧跡也」とあるので、浅利氏の本拠地独鈷に移された。浅利氏の滅亡後、慶長17年(1612)に現在地に移転した。寺には浅利則頼・勝頼・頼平三代の位牌がある。寺紋は浅利氏と同じ雁がね。本堂の屋根などに見られる。境内の馬頭観音は秋田藩33札所の31番霊場。戊辰戦争の時、新政府軍総監督沢為量は大館に滞在し玉林寺を本陣とした。このとき使用した衣服が伝わる。また、戊辰戦争の戦没者の墓がある。建物は、江戸時代に度々の大火で類焼。昭和6年に本堂、山門、鐘楼を造営した。庫裡は平成22年に建て直した。』とあります。
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唐破風懸魚・蟇股。
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木鼻。
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鳳凰山安楽地蔵尊。
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稲荷堂。
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寺務所。
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その他観音像、石碑など。
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玉林寺の向かいにある河田氷や(大正3年創業)。真冬でも販売しているかき氷。ナニコレ珍百景登録「常夏の雪国」。
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建物の横にストリートアートbyゼロダテ。
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アイスクリームは年中食べるのにかき氷はなぜ夏しか食べないのか…そんな疑問を打ち払ってくれます。
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寒いけど食べてみます(笑)※訪れたのは寒い時期です。
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