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日蓮宗行方山妙安寺。旧本山は池上本門寺、池上芳師法縁。斎藤氏館跡(斎藤政賢)に鎮座。
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「六郷領新宿村行方山妙安寺12世日深」。
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永禄年間に円光院妙安尼が夫の行方修理亮義安討死後、兄の斉藤政賢の屋敷内に開創した庵室が起源。
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天正17年(1589)池上本門寺、妙本寺両山12世仏寿院日現が玄首院日建を勧請開山として寺に改めました。
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明治初年の神仏分離の際、蒲田八幡宮の八幡神像を妙安寺の七面堂に移して毎年1月に八幡講が行われていました。
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この像は寺伝によると、右手に軍配、左手に経巻を持つ僧形で、日現が古川薬師安養寺との法論に勝利したことを記念し仁王像と共に持ち帰り、論破の証左として軍配を持たしめたといいます。
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昭和20年(1945)東京大空襲で諸堂焼失。八幡神像も焼失したことにより八幡講は廃止されました。
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妙安尼供養塔(大田区文化財・昭和49年2月2日指定)…『宝篋印塔、高さ124cm。御北条氏の被官人、当地の地頭行方修理亮義安の室、妙安尼の供養塔である。妙安尼は、義安の死後この地の豪族、兄斉藤政賢の屋敷内に庵を結び、池上本門寺12世日現に帰依し、天正17年(1589)に没した。その後この庵室が妙安寺となった。この供養塔は、台石の銘文により寛永20年(1643)に造立されたと考えられる。』
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日蓮聖人坐像(大田区文化財・昭和49年2月2日指定)。
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『桧材寄木造、彩色、玉眼。像高36.7cm。台座の裏に、慶長17年(1612)石井新右衛門尉の発願によって造立された旨の墨書銘がある。この周辺に石井姓は多いが、石井新右衛門尉については明らかでない。後年修理塗替えが施されている。在銘の祖師像として、本区では池上本門寺祖師像に次ぐ古いものである。』
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