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飯詰字影日沢。飯詰本村の長坂集落から北方の沢目にあった村。飯詰の観光マップにも紹介されています。ちなみに飯詰地区の朝日沢(朝日館城跡にできた村)は影日沢に対する地名として名付けられたと伝えます。味噌ヶ沢は飯詰の支村で明暦元年(1655)に開村された村。味噌を盛り上げたような土盛遺構を古墳とみなして味噌ヶ盛と呼び、そこから味噌ヶ沢と呼ぶようになったそうです。また、十七軒伝説なるものがあり、集落世帯が17戸を上回っても下回っても災いが起きると言い伝えられてきました。どれが味噌ヶ盛なのかはわかりませんでした。
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味噌ヶ沢にある萢ノ沢溜池は、飯詰ほか松島・中川・嘉瀬の旧村地区にも及ぶ水田524町歩を灌漑する重要な用水池でした。明治44年(1911)4月5日に萢ノ沢溜池の堤防が決壊して死者4名、流失家屋15戸、浸水家屋50戸、埋没田及び耕作不能田500町歩の大参事となりました。その後も13戸が集落を維持するも昭和49年に下岩崎地区に集団移転し、廃村となりました。当時の建物は残っていません。
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こちらの建物だけが唯一古い感じがしました。
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味噌ヶ沢の集落跡付近では田畑が営まれていたり、また採石場などがあるため現在も道がしっかりとしています。自然が気持ちいい場所です。
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萢ヶ沢橋。
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萢ノ沢溜池へ。
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萢ノ沢溜池の堤上から見た萢ヶ沢橋。
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萢ノ沢溜池。
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1周1時間半ほどの観察道路コースがあります。約20種類の野鳥や400種類ほどの野草の観察ができるそうです。特に雪解け後の水芭蕉は奥行100mに及び圧巻らしいです。雪解け後じゃないし、野草にも詳しくないのでやめておきました。
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明治の山津波で亡くなった方々の供養碑です。
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表面は例の如く達筆過ぎるため読めません。
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裏面には堤防決壊日、被害状況、亡くなった方の名前などが刻まれています。紀年銘は明治44年7月。
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味噌ヶ沢の大山祇神社。
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一の鳥居前の風景。
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小さい社号標。
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社号標の紀年銘は明治44年12月です。萢ノ沢溜池の堤防が決壊した日の数ヶ月後ですね。
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その他、村長の奥田順藏氏をはじめ、数名の名前が彫られています。
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大山祇神社は標高103mの山の中腹に鎮座しています。
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途中倒木で遮られている場所が2ヶ所ありましたが、意外にも参道はしっかりしていました。
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今も参詣している方々がいるのでしょう。
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見通しもいいし、きっと熊もいないでしょう。但し参道右側は谷になっています。
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見えてきました。
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かつての水害地域ということもあり、鳥居の鬼コがいる可能性も考えましたがおりませんでした。社殿も施錠されており、確認もできませんでした。賽銭箱もなかったので手だけ合わせて帰りました。
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なお、神社の建立年月日及び由緒等は不明です。
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社殿の裏側は崖になっているので気を付けましょう。
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周囲は巨木に囲まれています。
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狛犬一対。
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狛犬と並んで狐も3体。
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萢ノ沢溜池の堤上から見た大山祇神社が鎮座する山。
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大山祇神社から少しだけ離れた場所にも道がありました。
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10mほど歩くと巨木が現れます。
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その近くには地蔵尊の建物がありました。
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こちらも地蔵尊。
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隣には百万遍。紀年銘は大正15年です。
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小祠。比較的新しい感じがします。何が祀られているかはわかりませんでした。
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