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青森市橋本に鎮座。
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浦町神明宮由緒(案内板より)…『浦町神明宮は青森浦町元伊勢という所に鎮座して青森町神明宮と呼んでいたが寛永3丙寅年(西暦1626年)伊勢三日市七太夫が当地に罷り下ったとき大神宮御榊御神璽を御下されたのが創建と伝えられています。御祭神天照大御神。例祭日毎月16日月次祭・1月朔日元旦祭・6月15日前夜祭・6月16日例大祭』
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社号標。
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明治百年記念・昭和43年10月吉日・敬神会建立。
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庚申塔。7つの石塔があります。
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※下記の()内説明は案内板によるものです…6つの石塔の説明がありました…1つ足りません。
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猿賀山大権現(寺町石工・松田屋玉吉、兼平巳之吉)、猿田彦大神(弘化3丙午年8月7日・裏に「講中」の2字あり)、猿田彦大神(明治10甲庚旧閏5月17日・講中秋村勘兵衛、秋村万兵衛、秋村佐助、窪田忠太、久保金作、中村甚三郎、関五助、秋村茂助、中村倉吉)。猿田彦大神。山神(原子岩次郎)。岩木山(昭和2年8月16日平井留吉)。猿田彦大神(明治43年8月15日・浦町久保田万エ門四代目立之)。
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社務所。
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手水舎(明治45年旧6月16日)。
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狛犬一対(昭和56年6月16日・浦町神明宮敬神會)。
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石灯籠一対(昭和43年10月吉日・敬神会、明治百年記念)。
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狛犬一対(昭和26年9月15日)。
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社殿。
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社殿内。
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草創不詳。
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寛永3年に伊勢三日市七太夫が当地に罷り下ったとき、伊勢太神宮の御神璽と御榊を御下されたのが創建と伝えられています。その頃、青森開港の最中により浦町勘解由という者にお預けになり浦町村元伊勢に奉祀。
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このように元は青森浦町元伊勢に鎮座していたわけですが、寛永20年に青森繁栄のため柳町へ遷宮(現浜町神明宮)。しかし浦町町民は元伊勢の場所打捨て難く、神明宮社司柿崎兵庫太夫大隅はじめ浦町町民の嘆願により享和2年再興。
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明治6年村社。明治41年神饌幣帛料供進社に指定。昭和20年の戦災にて、本殿・拝殿・社務所・祭器庫の何れも焼失。昭和39年に浦町氏子中の熱心な篤志により現社殿を近代的及び不燃質の鉄筋コンクリート造として新築復興。
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岩木山大神。
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石塔湯殿山(木食行者 鉄門上人 文政10年10月 裏面信仰中)。
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案内板より…『この石塔は、直指庵より移転したものである。直指庵とは、元禄14(1701)黒石法眼寺の竜峰和尚が隠居寺として浦町(現在の平和公園付近)の5500平方㍍の広大な敷地に作った庵寺のことです。六世住職(真明)の時、明治4年10月29日、凄惨な強盗事件が発生し、その後、この庵寺は衰退していった。明治24年、東北本線が開通、この敷地は浦町停車場用地に買い上げられたため浜田玉川へ移転した。現在の直指山、見性寺はこの庵寺の生れかわりです。』
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龍神宮。
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初代小原流青森支部長竹浪一昌先生顕彰碑…『明治中期小原雲心宗匠は投入盛花という新しい華道形式を創立され、小原流、今日の礎を開かれました。竹浪一昌先生はその形式を大正初期に逸早く本県に導入せられました。当時他流には新華道形式がなく諸流の先生方をも対象に普及に努められ、また子女の情操教育にと学校、会社、等々に出張教授をなされ、その薫陶をうけられた方は数えきれません。今日の本県に於ける、小原流、隆盛の基を築かれ、同時に華道の発展に多大の盡力を致されました。その功績により昭和36年11月3日第3回青森県文化賞を受賞なされました。先生の大きな足跡を称え、これを後世に伝えたく、この度門下並に有志一同相図り顕彰碑を建立致しました。昭和55年9月23日小原流一昌会有志一同』
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浦町神明宮再建記念碑…『当浦町神明宮は天照大神を御祀り申し上げ寛永三年此の地に祠堂を建て神璽を安置してより実に三百三十八年になります。此の間浦町の氏子は産土の大神として朝な夕な嚴かに奉仕して國家の安穏五穀の豊穣家内の安全隆昌を祈って参りました。鎮座ましましてこのかた氏子はもとより近郷近在者老若男女の深い信仰をあつめ社殿また壮嚴清雅当市においても屈指の神社でありました。然るに惜しむべし昭和二十年七月二十八日夜の戦火を受けて焼失し以後長く仮社殿のまま最近に至ったのであります。此の度氏子崇敬者各位の御協力のもとに社殿を復興して威容を整え以って広大無辺の御神徳にこたえ奉る決意を致し着々準備を進め昨三十八年十月ようやく着工本日茲に竣工をみるに至りました。こえ偏に関係者各位の献身的奉仕の賜と深く感謝致すものであります。仍ってここに記念の碑を建て再建にあたって物心両面にわたり特に御盡力下された方々の芳名を刻みその勞に報いると共にこれを後世に伝える縁にしたいと思うものであります。昭和三十九年七月二十二日浦町神明宮敬神会会長横山実』
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社殿裏にあった使われていない小祠。
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