臥龍山安養院能仁寺。東京都品川区西五反田。
御本尊は釈迦牟尼如来(涅槃像)、脇侍は如意輪大宝観世音菩薩・金剛蔵王童子菩薩。
平安朝の初め頃、天台宗第三世慈覚大師に依って開かれました。中興開山は弾誓上人(1551-1613)の弟子、唱岳長音木食上人(1601-1677)。寛永元年(1624)に再建し、自ら彫刻した阿弥陀如来像を安置して千日の不断念仏行を勤まれ、更に自作になる1丈6尺の寝釈迦像を安置供養。開山長音上人は唱岳と号され、信州虫蔵の巌窟で草衣・念仏の行に勤まれること24年、木食・念仏の行を積まれ、数多の仏像を刻まれました。晩年は羽州秋田念来山帰命寺に止まり79歳で地中深く穴を掘り、その中に棺を入れて、自ら棺の蓋を閉じ、鐘を叩いて念仏を唱えながら捨身入定なされ、静かに極楽に参られたと云われます。
当山の檀祖は義士で有名な赤穂浅野公の本家、芸州藩主浅野長晟公の室で八代姫と仰せられます。出家して当山に止まり安祥として極楽に往生されました。荼毘に際し五色の舎利が現れたそうです。その後、浅野家は当山の絶大なる外護者となりました。暫くして中国の帰化僧獨湛(1627-1706)が当山に逗留し、宝永2年現在の山門に掲げられた「安養院」の扁額を製作。「江戸名所図会」には当山の古姿を載せ、荘厳広大な昔の雄姿を偲ぶよすがとなっていますが、浮世の風に晒され幾変遷経て現在に至ります。境内には栃木の定願寺より観音堂(室町時代)一宇寄進されています。また、平成3年に第25世道暢大和尚の遺志を元に「北インド・チベット仏教美術館」を開館。本堂の地下約80坪に仏像・仏画数100点、その他資料数千点を常設展示。特にチベット僧により製作された砂マンダラは圧巻。
本堂。
空襲による焼失を免れた山門。「安養院」の扁額は獨湛筆。
かなりの数の石仏等があります。石造文化財もかなりの数です。
寺宝も相当な数であり、紹介しきれないので写真はほとんど撮っていません。是非訪問して実際にご覧ください。結構ワンダー感あります。
安養院観音堂。
約450年前に栃木の定願寺より寄進。
狛犬(清代・天保3年)一対。昭和63年奉納。
奉獻石刻宝獅。
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