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花松神社の境内・花松神社向かい(宮司自宅隣)にあります。
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鳥居をくぐって裏側に回ります。
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正面。
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石灯籠はほぼ崩壊していますが、紀年銘は残されています。天明元年かな。結構古いものですね。
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馬頭観世音(花松観音堂)。
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手水鉢。
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大きな布袋様。両脇には小さな大黒様と恵比寿様。
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(内御堂)第32番札所花松観音(現花松神社)…『鎮座地:上北郡天間林村大字花松。本尊:馬頭観音(明治以前の御縁日は毎月25日)。御鎮座:慶長2年(1597)。御詠歌:巡り来て其名をきけば花松の今宵の月は曇らざりけれ。由緒:慶長2年(1597)の建立で、宝暦年間(1751-64)の御領分社堂に「小川目花松村観音堂2間3間本山派別当三光」とあり、寛政年間(1789-1801)の「邦内郷村志」に「観音堂別当秀光十三石五斗給分」とある。当神社は明治以前迄は花松観音堂と呼ばれていたが、天明(1781-89)の大飢饉に農耕・食物・家畜の守護神である保食神を合祀したが、明治の廃仏毀釈により主祭神を保食命とし、社名も花松神社と改めた。明治初期頃迄は当社の社頭に「細枝四垂」する美しい松があり、境内に絵馬舎(四尺四方)があったと云う。一説によると南北朝時代、南朝の長慶天皇(1368-82)がこの地に潜行された時、北の牧の守護神として馬頭観音を勧請し、堂舎を建立したのが当社の創始とも云われる。当地方は藩政期時代から牧があり、馬頭観音信仰が盛んであり、絵馬を奉納する風習がある。南部三十三ケ所観音巡りより』
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