イメージ 37
目黒は江戸のリゾート!ってことで、目黒不動商店街を通って目黒不動尊(天台宗泰叡山護國院瀧泉寺)を目指します。
イメージ 38
イメージ 39
乗り物はこれです。
イメージ 40
仁王門前。
イメージ 41
伏見稲荷大神。
イメージ 42
有名な比翼塚。
イメージ 43
その前の石碑には「新東京名勝選外十六景 目黒不動」とあります。
イメージ 44
『傾城に眞こと無いとは誰が云うた まことありやこそ今が世に目黒にのこる比翼塚』 
イメージ 45
権八・小紫の悲話伝える比翼塚…『処刑された愛人白井権八と、彼の墓前で自害した遊女小紫。その悲話は“後追い心中”として歌舞伎などで有名だが、この比翼塚は、二人の来世での幸せを祈り建てられたという。』
イメージ 46
三福堂へ。
イメージ 47
池があり、橋を渡ります。
イメージ 48
イメージ 49
池と茶屋。
イメージ 50
福銭洗い(金明湧水)。『三福神にお参りしてから、ご縁に導かれますように洗うお金に五円玉を添えて一緒に洗ってください。』
イメージ 51
江戸最初山手七福神(恵比壽神)。
イメージ 52
恵比寿神・弁財天・大黒天の三福神を筆頭に七福神すべてを祀ります。
イメージ 53
豊川稲荷神社(豊川枳尼真天)。商売繁盛の御神徳。
イメージ 54
イメージ 55
福壽稲荷神社。開運招福・福徳円満。
イメージ 56
イメージ 57
三福堂前にある野村宗十郎銅像。
イメージ 58
『君諱宗十郎安政四年五月四日出于長崎薩摩屋敷服部氏出嗣堅邦民少入新街新塾受活版術于昌造本木翁明治六年入東京大學予備門目病退十二年任大蔵省銀行局員尋轉主計局二十二年辞官入築地活版製造所四十年奉社長君之在社也晨起夜寐看社務遊千技嘗創九波回活字問諳桒収巽酉大阪博覧會九波因行乎巫昉于払也大正二年官賜藍綬褒章賞馬受又慨活字常軆紛乳如決決諮衆家出又省略點劃弘論評可讀不可讀其効力両啻於活版術也経任国語調査会委員焉十二年翕関東地震災起活版所帰烏有氏日夜黽勉圖厥復興胡兀兀天不假年俄然病歿大正十四年四月二十三日也特旨叙正七位 文学博士遠藤隆吉記 昭和五年六月互浣 堀進二作像 亀田雲鵬書』※自信ありません。間違っているかと思います。
イメージ 59
再び仁王門前へ。
イメージ 1
瀧泉寺(目黒不動尊)…『天台宗泰叡山龍泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けました。また、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わいました。さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中の感応寺と並んで「江戸の三富」と称されました。境内の古い建物は、戦災でその大半が焼失しましたが、「前不動堂」(都指定文化財)と「勢至堂」(区指定文化財)は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築の貴重な姿を今日に伝えています。その昔、境内には「銅造役の行者倚像」、「銅造大日如来坐像」(ともに区指定文化財)があり、仁王門左手の池近くには「山手七福神」の一つの恵比寿神が祀られています。裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷先生として知られる青木昆陽の墓(国指定史跡)があります。平成21年3月目黒区教育委員会』
イメージ 2
目黒不動と門前町…『「お不動さん」の名で親しまれる目黒不動。大同3年(808)、慈覚大師の創建と伝えられるが、寺が隆盛を極めるのは江戸時代に入ってから。3代将軍・家光以来、徳川幕府の厚い庇護を受け、荘厳華麗な大寺院に生まれ変わった。また周辺は門前町として発展。目黒名物の飴や餅を売る店が軒を連ね、活況を呈した。目黒不動には「独鈷の滝」「鷹居の松」など、慈覚と家光の2人に因んだ伝説や挿話も多く、興味が尽きない。』
イメージ 3
目黒不動堂(江戸名所図会より)。
イメージ 4
目黒行人坂富士(廣重筆・江戸自慢三十六点より)。
イメージ 5
仁王門。
イメージ 6
狛犬一対(平成11年)。
イメージ 7
イメージ 8
石灯篭一対(東京日信講中・仁王門落慶記念)。
イメージ 9
イメージ 10
仁王門は3間1戸の朱塗りの楼門。昭和37年(1962)再建の鉄筋コンクリート造。階上には韋駄天を祀ります。
イメージ 11
仁王像。開口(阿)那羅延金剛・閉口(吽)密迹金剛。
イメージ 12
イメージ 13
『●仁王尊像の由来…第二次世界大戦の戦火は、目黒にも及び、昭和20年5月24日、目黒不動尊は、その一部の建物を残して灰塵に帰した。戦後の復興は、まず本堂の再建にはじまり、25年いちはやくその完成をみた。次は、由緒正しき仁王門ということになった。29年、ふるくから和菓子司として知られていた当地玉川屋主人小川雄一氏りよ女夫妻は、すすんで仁王尊像の寄進を青木大僧上に申しいで、その制作を、当時本邦木彫界の雄として知られていた後藤良氏に依嘱した。後藤氏はこれを快諾すると同時に、これによって昭和の男性美を永久に留めたいと考えて、モデルとして窪田登氏を選んだ。ことは順調に進み、高弟綿引司郎氏の協力をえて、32年早春三尺の原型が完成した。それと同時に、後藤氏は76才の生涯を突如として閉じたのであった。原型から木に写す作業は、綿引氏・門伝正征氏・吉田暁未氏の協力によって行われ、35年8月26日めでたく完成、のみ納め式が行われた。仁王門の完成をまって、36年4月2日落慶式が行われた。その前夜後藤夫人イク女は、重荷をおろしたかのように急逝したのであった。●狛犬の由来…この狛犬も後藤良氏の作品である。生前制作された石膏の原型は、転々ところをかえ、そのたびに破損していった。後藤氏の令孫安原喜武氏は、彫刻家としてこれを坐視するにしのびず、自らのアトリエに引きとって修理を行っていた。これを知った玉川屋の令息小川一隆氏らく女夫妻は、本年4月逝去した母堂りよ女の菩提をとむらうため、その寄進を吉田貫主に申しでた。53年7月2日その落慶式が行われたのである。昭和53年7月5日世話人代表亀谷了謹記』
イメージ 14
仁王門の狛犬一対(昭和53年)。
イメージ 15
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
手水舎。
イメージ 20
トイレ前のうすさま明王。台座には「棄貪瞋痴」。烏枢沙摩明王は炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰もあり、トイレと関連する不動明王です。トイレの神様。
イメージ 21
交通安全祈祷殿。
イメージ 22
交通安全のお不動さまを祀ります。
イメージ 23
鈴木久太夫碑(大日本農會會頭大勲位能久親王篆額)。種子土囲法を考案し、農器具を改良。農商務省の嘱託となり西洋種穀物や野菜を試作栽培した人。
イメージ 24
甘藷まつり開催中。甘藷先生と称された江戸時代の蘭学者である青木昆陽の墓が目黒不動の一角にあり、日本で初めて甘藷を栽培した昆陽の遺徳を偲んで毎年10月28日に開催。祭り当日は甘藷先生の墓前にサツマイモや花が供えられ、境内には露店が軒を連ね、懐かしい味わいの大学イモ等を頬張りながら歩く若い女性など多くの参詣人で賑わいます。
イメージ 25
阿弥陀堂。
イメージ 26
阿弥陀三尊(観音・勢至・阿弥陀)を祀っていました。
イメージ 27
観音堂。江戸三十三観音霊場の結願札所。聖観音・千手観音・十一面観音を祀っています。
イメージ 28
地蔵堂。地蔵尊(無仏時代の救世仏、女性や子供を守る)。
イメージ 29
春洞西川先生碑。西川春洞(弘化4年5月25日-大正4年8月10日)。江戸生まれの書家で明治、大正にかけて活躍。
イメージ 30
刷毛筆供養塚。
イメージ 31
精霊堂。
イメージ 32
西の河原地蔵菩薩和讃…『帰命 頂礼 地蔵尊 物の哀れのその中に西の河原の物がたり身に心の耐えがたき十より内の幼な子が広き河原に集まりて父を尋ねて立まわり母をこがれて歎ぬる余りの心の悲しさに石を集めて塔を組む一つ積んでは父を呼び二つ積んでは母恋し乳房を与え給えかし一口飲まば歎くまじ東に西に駆けまわり声を張上げ悶えても親と答うる声もなし暫し泣き居る有様を地蔵菩薩は御覧じて今より後は我を皆父とも母とも思べしわれもわれもと集りて大悲の仏に縋る子を抱え給うぞ有り難き』
イメージ 33
閻魔王像と奪衣婆像(葬頭河の婆)。
イメージ 34
イメージ 35
イメージ 36
イメージ 3
イメージ 2