イメージ 1
詳細は以前の記事も参照ください。
イメージ 2
イメージ 3
案内地図。
イメージ 4
赤倉霊場案内略図。
イメージ 5
大石神社(下宮)からの地図。
イメージ 6
以前は無かった鳥居。
イメージ 7
鳥居の昇龍&降龍。
イメージ 8
イメージ 9
平成26年8月5日(旧7月10日)奉納。
イメージ 10
イメージ 11
かっこいいですね。
イメージ 12
鳥居を潜って行きます。
イメージ 13
イメージ 14
参道両脇には記念碑や石灯篭もたくさんございます。
イメージ 15
イメージ 16
イメージ 17
イメージ 18
イメージ 19
イメージ 20
イメージ 21
一基崩壊していました。
イメージ 22
小さな池。
イメージ 23
水子観世音堂。
イメージ 25
イメージ 24
大石神社の湧水。
イメージ 26
大変人気の水ですが、珍しく人がいませんでした。
イメージ 27
瀬織津姫かな。
イメージ 28
龍神御鎮座所と大石川。
イメージ 29
川の水がありませんでした。
イメージ 30
近くにあった石。
イメージ 31
面白い形をしていますが何なのかは不明。
イメージ 32
社殿。
イメージ 33
イメージ 34
社殿前に色々あります。
イメージ 35
古い石灯篭や扇形の手水鉢。
イメージ 36
イメージ 37
こちらの観音像の石版には「教岳院台丸谷教全」とあります。
イメージ 38
こちらは馬頭観世音でしょうか。馬に跨っています。
イメージ 39
狛犬一対。
イメージ 40
イメージ 41
イメージ 42
イメージ 43
台座…『須藤三右エ門』『慶應元年七月十日』
イメージ 44
イメージ 45
台座より…『この「こまいぬ」は、二代目須藤三右門が孫衛士が生まれた時病弱な為、無病息災を祈願して慶応元年旧七月十日に奉納したものである。右の通り証明し奉納する。平成九年八月十二日(旧七月十日)(1997年)六代須藤賢一70才・七代長男公基49才・八大公輔22才。参考[系図](生年月日)初代須藤山三郎(不明)・二代三右門(文政14年8月15日)・三代代次郎(天保12年4月7日)・四代衛士(慶応元年5月5日)・五代昌義(明治29年3月31日)・六代賢一(昭和2年4月28日)・七代公基(昭和23年10月25日)・八代公輔(昭和50年9月19日)以上』
イメージ 46
向拝下。
イメージ 47
絵馬。
イメージ 48
イメージ 49
拝殿にはたくさんの絵馬が奉納されており、子授け安産の神、縁結びの神、農耕神や牛馬の守護神、竜神、水神としても信仰されており、住民の生活に密接に関わってきたと考えられます。
イメージ 50
社殿横の建物。恐らく神楽殿。額束の紀年銘は昭和39年8月9日。
イメージ 51
社殿横にあるたくさんの厩。
イメージ 52
イメージ 53
この馬に乗って淡島神(女性に関するあらゆることに霊験のある神)がやってくるのでしょう。
イメージ 54
イメージ 55
イメージ 56
本殿。
イメージ 57
本殿前狛犬一対。ピントずれてる。
イメージ 58
イメージ 59
昭和59年度厄年者による奉納。紀年銘は同年4月3日。
イメージ 60
石造の獅子頭(4月8日)。
イメージ 61
本殿裏手にある磐座。千曳岩。千引大明神。古事記では黄泉国には出入口が存在し、黄泉比良坂といい、葦原中国と繋がっているとされるます。伊邪那岐命は亡くなった妻の伊邪那美命を追ってこの道を通り、黄泉国に入ります。変わり果てた伊邪那美命の姿を目撃した伊邪那岐命が、黄泉国から逃げ帰る場面において、追いすがる妻や手下の黄泉の醜女たちを退けるため、最後に黄泉路を塞いだ大石を道反大神といいますが、この大石は千人の力でしか動かせない千曳岩であり、これをもって悪霊の出入りを禁じました。このことから大石神社(千曳岩)は霊界である赤倉の入口、岩木山登拝口の赤倉山霊界に鎮座した境界石(番人石)とも捉えることができそうです。
イメージ 62
本殿横の石祠。
イメージ 63
御神木の五本杉。
イメージ 64
イメージ 65
何やら不思議な形をした松があります。
イメージ 66
行ってみましょう。
イメージ 67
一本の枝だけが不思議な形をしております。金精神…いや、不思議な形の枝です!
イメージ 68
枝の周囲には毛のように枯木が絡まり、枝の下には銀の鈴が二つ付けられています。この二つの鈴を鳴らしてお参りするようです。
イメージ 69
どの角度から見ても不思議な形をしています。
イメージ 70
木の下には不思議な形をした賽銭箱もあります。
イメージ 71
紀年銘は平成24年旧7月10日です。
イメージ 72
大石神社からの眺望。
イメージ 73
イメージ 74
イメージ 3
イメージ 2