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旧三厩村文化財指定「藤の木」一株の標柱。
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横には菅江真澄の句があります…「春は咲く花の姿を寄る波に見せてぞかかる浦の藤島」
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参道途中に地蔵菩薩の堂宇。
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堂内。
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地蔵菩薩。
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藤の木前の赤い鳥居と木製の鳥居…
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かと思ったら鳥居ではなく支柱でした!
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何かもう…凄いことになっています。
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藤の花なし…季節外れですいません。
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藤嶋「藤の木」の由来…『享和年代(平成25年より210年前)愍栄上人が来た時、上人は馬頭観音菩薩を一体彫み堂を建てこれを安置したと言われており、当時の産業要所としての藤嶋鰊場の網元達は愍栄上人の残された御堂を文政年代の頃神社に建て替え、これを祭礼とし、この時部落の沖合い約100米の所に位置する藤島より藤を掘り持ち帰り、神社境内登り口のイタヤの木のそばに、イタヤに負けぬように成長を願い植え付けた藤が現在の巨木であると言い伝えられています。依って茲に旧三厩村の文化財第1号に指定された藤の木を永代にこれを保存し先祖の精神を永く語り継がんとするものです。謹書』。下部には鉄骨支柱の説明…『記・この鉄骨の支柱は、平成17年10月の或る日、当「藤島神社」境内の支障木を撤去し、その直会が同年10月30日に執り行われ、外ヶ浜町森内勇町長、正木勉、伊藤幸治両町議会議員、橋本重満藤島自治会々長他、神社関係者が「名木」藤の木(旧、三厩村文化財指定)棚の前に立ち、支柱木が腐蝕している事が話題となり、森内町長から友人の㈱青森資源(青森市、社長稲田健氏)の専務取締役加賀谷祐一氏に依頼し同年11月26日完成(無償)し、地域に暮す人々の幸福の為に未来永劫に鎮座して頂く神々に感謝の意を表し奉納されたもので有る。敬白。平成17年(2005)12月吉日藤島神社関係者一同、外ヶ浜町藤島自治会一同。㈱マツオデザイン松尾節男謹書』。
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こちらも支柱の説明…『平成20年6月7日藤まつりに外ヶ浜町森内町長・株式会社青森資源専務取締役加賀谷様と、藤嶋神社を参拝頂いた時、藤の木が階段の上を横たわっており、重量で回わりの柵の木や参道に支障を来たす恐れが出てきたと話をしたところ、町長より支柱を建てましょうとの提案に、株式会社青森資源専務取締役加賀谷様もその場にて心良く受諾を頂きました。よく月7月10日株式会社青森資源よりクレーン車と工事する人を派遣され、大がかりな工事にて立派な支柱が完成され、10月吉日入魂式を挙行し、藤嶋地区一同深く感謝の意を表し末代まで之を記す。藤嶋共和会会長橋本重満』
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鉄骨の支柱。
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参道途中の末社。
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参道石段後半。
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三厩藤嶋の藤島神社。創建は不詳。御祭神は保食神。
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文政7年神社書上帳には藤嶋村稲荷宮とあります。安政2年の神社微細書上帖には観音堂とあります。宝暦9年神社書上帳には稲荷宮と間違えて書かれています。本来は観音堂。天保13年(1842)の棟札があります。境内は初代権之進が寄附。明治の神仏分離によって観音の御神体が持ち去られたのを不服として、氏子たちが山越えをしてこれを取り返したと伝えます…強い!(笑)
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社殿内。
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本殿。
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本殿両脇に馬がいます。
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獅子頭3頭。
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その他にも色々ありました。
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沖縄シーサー(魔除・平成2年3月12日)。
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藤島神社造営役員(昭和50年4月22日落成)。
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大黒様と恵比寿様。
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船絵馬。
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船絵馬は似ているようで微妙に全部違うから面白いです。
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社殿前石灯籠一対。
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庚申塔(萬延元年8月)・猿田彦大神(天保3年9月17日)。どちらも上部には御幣が彫られています。
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風化がひどく不明の石群。一部の石には盃状穴が見られます。
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境内から藤島が見えます。面白い形ですね。
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由緒によりますと藤の木は元々あそこにあったらしいです。
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現在は弁天宮と思しき鳥居・小祠があります。その裏に岩があり、更にその裏に松があります。機会があったら泳いでみます。
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