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天空橋駅前にある人道橋。
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天空橋…『平成5年(1993)、東京国際空港の沖合展開によって、京浜急行空港線が延伸されました。それに伴い、海老取川の対岸に空港線と東京モノレールが接続する羽田駅が開設しました。海老取川の西側(現在地)には昭和31年(1956)開設以来、多くの人々に利用されていた羽田空港駅がありました。しかし、羽田駅の開設によって廃止となり、川の東側へ移った駅への通路として、海老取川に人道橋が架けられました。これが「天空橋」です。橋の名称をつけるにあたって、将来、橋を多く渡るのは羽田の子供たちであることから、子供たちに名称をつけてもらうことになりました。そして、羽田小学校、羽田旭小学校の全校生徒のアンケートにより最も多かった「天空橋」が採用されました。この名称には、子供たちが未来に向かってはばたいていくことへの願いと、羽田のまちが発展することを願う心がこめられています。』
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羽田の大鳥居が見えます。
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反対側に見えるのは稲荷橋。
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天空橋を渡った正面の風景。
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今は何でもない風景ですが、旧羽田空港駅の跡地になります。
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ブラタモリで取り上げていた稲荷橋です。行き止まり(羽田空港)の廃橋。
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かつては道が続いており、穴守稲荷へ行くための参道となっていました。大変賑やかだったそうです。
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第二次世界大戦後の昭和20年9月21日、羽田空港を軍事基地として拡張するため、穴守稲荷は米軍(GHQ)より強制退去を迫られることになり、この橋と大鳥居(移転)だけが現在もこのような形で残されています。
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ブラタモリ(羽田の回)を見た方がわかりやすいです。
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