イメージ 11
社号標(昭和11年旧8月10日)。
イメージ 12
鳥居神額(大正4年8月10日)。
イメージ 13
微妙に曲がっている参道が気になります。
イメージ 14
イメージ 15
イメージ 16
宝永2年(1705)に弘前藩斎藤武兵衛(庄屋。斉藤左馬之助の孫)が新田開発のため勧請。 以後八重田村中にて再建。 村の東端を流れる掘替川(掘川)は、 功績を偲んで現在も武兵衛川と呼ばれています。 城州稲荷本宮 (現在の伏見稲荷大社) から、 奥州津軽外ケ浜田舎郡横内組八重田村中村四五衛門宛の 「正一位稲荷大明神安鎮事」 という文化元年の古文書が中村家に伝えられており、 京都へ行って神璽をうけてきたものと思われます。 明治6年3月造道村稲荷神社へ合祀、同8年2月復社、同9年12月村社に列せられ、昭和16年8月神饌幣帛料供進指定。
イメージ 17
境内案内板より…『一.祭神:倉稲魂命、猿田彦大神、大宮能女神。二.由緒:当社は宝永2年弘前藩斉藤武兵衛新田開発のため勧請。以後八重田村中にて再建。明治6年3月造道村稲荷神社へ合祭、同8年2月復社、同9年12月村社に列せらる。三.社殿及びその他工作物:本殿(流造・縦5尺横5尺)。拝殿(切妻造・縦4間横3間)。境内地(487坪1合)。稲荷石(1対・奉納者佐々木沢次郎)。石燈籠1対(八重田村中、文久3辰歳)。老杉(2本、中村運太郎夫妻手植なりといふ)。四.祭日:新年祭3月30日、例祭8月10日、新嘗祭11月10日。以下長文にて省略…』かなり詳細な由緒が書かれていました。また、御祭神についての説明も貼ってありました…『倉稲魂命は又の御名を保食神、大宜都比賣神とも申し伊勢外宮に座す豊受姫神とも御同体なり、即ち天照大御神の大饌都神にして食物を幸い給ふのみならず絹織の業より家居の事をも霊幸います。本つ御祖の神なるか故に食物、衣服、住居の守護神として蒼生の尊宗最も篤し。猿田彦大神は天孫御降臨の節御先導の任にあたり大功あり。又大宮能賣神は天鈿女命とも申し天の岩戸開きに舞取なし大神の御心を和げ奉り又宮中に奉仕して君臣の御中を取持ち宸襟を和げ奉りしにより大宮の女神と申し後猿田彦大神と夫婦とならせられ五十鈴川の畔に閑居して専ら田畑に御功徳高く倉稲魂命と共に農事守護の神と仰かる。』
イメージ 10
社殿。
イメージ 9
狐一対(台座:昭和40年4月10日)。
イメージ 7
イメージ 8
石灯籠一対(文政3年3月10日)。
イメージ 5
イメージ 6
龍神大神。
イメージ 3
イメージ 4
馬頭観音堂(石灯籠一対(昭和11年旧4月17日))。
イメージ 2
馬頭観音。
イメージ 1
イメージ 3