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愛宕公園内散策でございます。
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町の高台に位置する愛宕公園は、古くから町民の憩いの場として親しまれ、桜の景勝地としても知られています。
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愛宕公園案内板。
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愛宕神社参道の途中にある御膳水。
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古くから町民に親しまれてきた湧水。
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明治天皇巡幸の際に調理用の水として使われたことから「御膳水」という名前が付いたといわれています。
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本州最北限のエドヒガンザクラ(町指定天然記念物)。
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樹齢およそ300年、高さ約18m、幹の太さは約5.3mで地表約50cmの所で2つに分かれています。
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エドヒガン(指定年月日平成6年3月25日)『エドヒガン(江戸彼岸)は日本(本州・四国・九州)、韓国南部、中国中部に広く分布する桜で、関東地方では春彼岸の頃に花を咲かせる。別名アズマヒガン(東彼岸)、タチヒガン(立彼岸)、ウバヒガン(姥彼岸)とも言う。ソメイヨシノは、本種とオオシマザクラの交配種とも言われている。この品種は長寿の木として知られているが、東北地方北部では数が少なく、ここに樹齢300年と推定される古木が生育していることは、植物学上からも貴重なものである。主幹は地上0.5mより二岐し、各枝幹より張り出された枝が伸長して全体として見事な樹冠となっている。毎年春には多くの花をつけて美しい。平成7年3月野辺地町教育委員会』
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愛宕神社参道の石段は北前船によって香川県土庄町から運ばれてきた花崗岩で、昔は本町の道路に敷かれていたものです。
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愛宕公園の石段…『かつて当町の本町の道路中央には、江戸時代から明治時代にかけて日本海や瀬戸内海を航海した北前船によって運ばれた花崗岩がおよそ350mにわたって敷かれていました。この敷石は、北東有数の北前船主であった当町の野村治三郎によって敷かれたものです。その持船は当地から大豆・魚肥などを運び出し、大坂・兵庫などから木綿・古着などを野辺地に運ぶという航海をしていました。帰りの積荷が軽い場合は船を安定させるために花崗岩などの石をバラスト(おもし)として船底に積み、それが本町に敷かれました。その後、昭和10年(1935)の舗装工事により取り外されましたが、一部が愛宕公園の石段となって残り、往時を偲ぶことができます。江戸時代の大坂城再築の際、軍役として普請を命じられた中国地方・四国・九州などの西国大名はおもに瀬戸内海の石を城の石垣に使用しました。当町の敷石に使われている花崗岩は瀬戸内海小豆島の土庄町小海地区の産出で、大阪城の細川藩受け持ちの石垣に使用されたものと同じ石とされています。大坂城再築の際、切り出されたものの使われずに残された残念石(残石)を中心に整備された「大坂城残石記念公園」のある土庄町と野辺地町は、このような由来により平成22年10月10日、「大坂城残石記念公園」と「愛宕公園」を友好公園して調印を交わし、末永い友好を築いていくこととしました。平成23年8月6日野辺地町』
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本町の敷石(1912年本町通りから北を望む。右側、赤レンガの建物が野村家)。
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青森県野辺地町・香川県土庄町友好之碑(野辺地町愛宕公園・大阪城残石記念後年)。
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愛宕公園北側中腹にある松尾芭蕉の句碑(町指定有形文化財)…「花ざかり山は日ごろの朝ぼらけ」。裏面は「文政十二年己丑孟冬十二日東奥野辺地社中」。
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芭蕉が貞享5年(1688)に奈良の吉野山で詠んだもの。表面の文字は歌人として著名な京都賀茂の加茂季鷹の書。
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野辺地村では商人層の富商化に伴って、俳諧などの文化が流入し、文政元年盛岡の小野素郷の句集「紫ノ戸」には野辺地の俳人が数人出句しており、同12年(1829)には東奥野辺地社中が結社され、愛宕山に芭蕉の句碑を建てました。指導的俳人は島谷子行、野坂英美で、門人を集めてしばしば運座を開いています。
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『指定年月日平成6年3月25日。松尾芭蕉句碑は俳聖芭蕉を慕う野辺地の俳人たちによって、文政12(1829)に建てられたものである。「花ざかり山は日ごろの朝ぼらけ」の句は、芭蕉が貞享5年(1688)に桜の名所吉野山で詠んだ句で、句碑の表面の文字は京都の歌人、加茂季鷹の書である。江戸時代に始まる野辺地の俳諧の伝統は、明治以降も引き継がれ、手捏社などの活動により当町は県下でも有数の俳句の盛んな地となった。この句碑は、このような当時の文芸の歴史を伝える貴重な文化財である。平成7年3月野辺地町教育委員会』
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ちなみに芭蕉句碑の土台にある凹みは弁慶の左足跡と言われているそうです。
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石川啄木の歌碑(昭和37年5月4日、啄木没後50年記念にて建立)…「潮かをる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇(ハマナス)よ今年も咲けるや」。
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野辺地常光寺の住職葛原対月和尚が啄木の伯父であったことから立ち寄ったものと思われ、住職のもとへ3度も訪れているそうです。
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裏面碑文…『石川啄木が明治37年9月29日初めて野辺地町をたずね「…野辺地が浜に下車して、咲き残る浜茄子の花を摘み、赤きその実を漁童と味わいなどして…」と友人に報じている。伯父葛原對月が常光寺住職として15年間在住し、父石川一禎も、この師僧を慕って数年間身を寄せ、啄木もまた数回訪れて数々の文献を残された。我が町は県下唯一の啄木ゆかりの地といえよう。天才詩人の琴線にふれたつぶらな浜薔薇の実は今も十符が浦の潮風にさゆれている。ここに啄木没後満50年を記念し、万人に愛好されている啄木文学を顕彰し、ゆかりの歌を刻みその面影をしのぶよすがとした。昭和37年5月4日野辺地町啄木歌碑建設の会 盛岡 高橋仁助刻』
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愛宕公園中腹にある花鳥号銅像(町指定有形文化財・昭和4年建立・伊藤國男制作)。
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明治天皇はこの地に、2回ほど巡幸されました。
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最初の巡幸の時(明治9年)、宿舎である行在所(現在の役場敷地内)に到着すると同時に倒れた天皇の愛馬「花鳥号」の冥福を祈り愛宕公園中腹に銅像として建てられ、愛宕公園のシンボルとなっています。
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花鳥号銅像について…『この銅像は弘前高校教授弥富破摩雄氏の撰文に述べてあるように明治9年明治天皇の東北御巡幸にお供し野辺地で斃れた名馬アメリカ産花鳥号の冥福を祈るために本県産馬組合長等が協力建立したものである。作者は文展入選者伊藤国男氏である。駿足俊敏の英気が満身に溢れ芸術作品として秀逸の評の高いものである。この銅像の原型は宮内庁に保存されてある。なお当町常光寺境内には勅命によって建立された花鳥号の石碑がある。昭和50年7月建立 野辺地町』
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台座碑文。
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愛宕公園の頂上付近からの眺望。
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中市絶壁の句碑(昭和47年10月7日建立)…「傘さげてみ堂をめぐる夕嵐」。明治時代に県内初の活版印刷による俳句同人誌を刊行するなど野辺地は俳句の盛んな地でした。俳人中市絶壁(謙三)は民俗学研究、町史資料の編纂などの数々の業績も残されました。業績を称えて野辺地市街地が一望できる愛宕公園に句碑が建立されました。
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忠魂碑。愛宕公園の園路を登りきった頂上の展望台付近にあります。かなり大きいです。
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展望台。
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満州事変支那事変大東亜戦争之戦没者の碑(殉國之霊)。
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日露戦争戦没者の碑(忠魂碑)。
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日清戦争戦没者の碑(我武維揚)。
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慰霊碑再建にあたって…『昭和43年5月16日北海道及び東北地方は十勝沖を震源地とする大地震に襲われ野辺地町も震度5という強震でありこのため町内いたるところが破壊され其の甚大なる被害はまさに町史に残るものであった。この慰霊碑も例外に洩れず日清日露の2基が倒れ無惨な姿となったが野辺地町遺族会が主体となって町当局並びに町有志各位の寄せられた資金によりここに復旧再建したものである。昭和43年11月野辺地町遺族会』
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核兵器廃絶平和自治体宣言碑(平成16年6月吉日)…『世界の恒久平和は、人類共通の願いである。しかしいまなお存在する核兵器は、人類の生存に深刻な脅威をもたらしています。私たちは、世界最初の被爆国民として核兵器の恐ろしさ、半世紀を過ぎても続いている被爆者の苦しみを、この地球上に再びヒロシマ・ナガサキの惨禍を繰り返させてはならないと、全世界に訴えます。私たちは、平和な世界で生命を育み、自然との調和を大切にする野辺地町を、子々孫々に継承するために核兵器廃絶・平和自治体であることを宣言します。平成13年6月14日青森県上北郡野辺地町議会』
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広くてとても気持ちのいい公園です。いいなぁこういう公園。
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皇太子殿下御成婚記念植樹。
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愛宕コミュニティーセンター。
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コミュニティーセンター前にあった母子馬(友好都市提携記念・1997年8月・寄贈埼玉県菖蒲町・制作荻野敏雄)。
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噴水。
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水出てなかったけど。
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愛宕公園に隣接して野辺地町立野辺地小学校のグラウンドがあるのですが、その一角に蒸気機関車(C11-210)が保存されています。
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Cのチョンチョンは昭和7年から昭和22年までの16年間に381車両が製造されています。
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210は3次形で製造年は昭和17年。
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正面。
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後ろから。
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