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建立年月日、由緒等はわかりませんでした。
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鳥谷部村の産土神もしくは氏神として信仰されてきたのでしょう。鳥谷部村は奥羽山脈北端の東部台地に源を発する中野川(倉岡川)と支流市ノ瀬川が合流する地点の近くに位置。「邦内郷村誌」によりますと、天間館村の内の集落。幕府に対し独立村として報告されましたが領内では天魔館村の内の1つの集落として扱われたと考えられます。幕末から明治初年には名実ともに天魔館村の一部に含まれるようになりました。明治2年、斗南藩の創設にともない高171石2升8合の独立村として斗南藩領とされましたが、これに対して重大な疑義が生じたので、明治3年閏10月、民部省は七戸藩に対し照会し、当村は従前通り天魔館村の支村であり、七戸藩領であることを確認。その後民部省内に人事異動があり、再び鳥谷部村について七戸藩に照会があり、明治4年2月当村の七戸藩領であることが再確認されました。
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本殿裏手は急勾配になっておりました。
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以下は当ブログにて頂いた情報でございます。
「こちらは、武家神社です。ルーツは、遠く関東の千葉県になると思われます。戦で落ち延びた武家が、氏神と共にやってきて七戸城に禄を貰い土着したものらしい。その出自は、桓武天皇の筋ともいわれています。また、知らない方も多いようですが、榎林の近くの花松神社の御神体は、こちらの一族から分けられたもので、その由緒によるものらしいです。現在では鳥谷部となっていますが、そういう過去のため元々の名前ではなく土着してからのものとのことです。」

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