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もはや住所が貝塚なんですね。
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とても広いので全部見るとかなり時間を要すと思います。
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国指定史跡二ツ森貝塚(指定年月日平成10年1月16日・追加指定年月日平成27年3月10日、10月7日・保護指定面積117,950.10㎡)…『二ツ森貝塚は、東北地方北部の小川原湖西岸に形成された縄文時代前期中葉から中期後葉にかけて約1500年間に渡って、継続して営まれた大規模な拠点集落です。遺跡は明治時代から全国に知られ、現在まで数回の発掘調査により、多種類の動物遺体、骨角器類が出土しています。また、多数の竪穴式住居と貯蔵穴が検出され、さらに、台地の中央には道路遺構が確認され、縄文時代に土地利用を計画的におこなった事を示す貴重な遺跡でもあります。』
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史跡指定範囲の地形図。
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5000年前ここはまほろばの里だった…『遙か遠い昔、氷河期の終わりとともに極地の氷が融け始めると、海面が上昇してきました。海水が現在の海岸線よりも内陸の奥まで入り込む縄文海進は、縄文時代早期にピークを迎え高瀬川下流域(小川原湖周辺)は内湾となりました。やがて、海水が引く縄文海退により遠浅の海岸が一面に拡がると、この地に人々が住みはじめました。人々は貝を採り、魚を捕り、ドングリやクルミを拾い、シカやイノシシを捕まえて生活していました。縄文人にとってここは、とても住み良いところ"まほろばの里"だったのです。』
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縄文時代の海岸線と現在の海岸線(赤線:現在)。
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出土品の一部は七戸中央公民館(9-16時・祝祭日及び年末年始は休館・無料)にあるようです。
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復元住居2棟。
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案内所。
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榎林式土器。人面付きの土器。西地区の捨場から出土。
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竪穴式住居。縄文時代前期後半。現在のところ約140軒確認されています。床面積は約50㎡あり、柱穴などが検出されています。
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道路状遺構と土坑墓。二ツ森貝塚の東端と中央部。道路遺構に沿って土坑墓が列状に作られています。道路の脇に墓を作る様子は三内丸山遺跡などでも同様に確認されています。
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鹿角製櫛(県重宝)。縄文時代前期末葉(約5000年前)に作られたもの。鉄製品の無い時代に、硬い鹿の角に透かし彫りや穴など幾何学的に施す製作技術の高さを伺わせます。穴は数を表現しているとの見方もあります。
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鯨骨製青竜刀形骨器(上)、鹿角製尖頭器(右)、鹿角製叉状品(中)、猪牙製錘飾品(左)。いずれも県重宝(昭和37年11月16日)。
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貯蔵穴のお墓。平成15年の発掘調査で底部から人骨や犬の骨を発見。使われなくなった貯蔵穴がお墓に転用されることが分かりました。深さは約2mで、断面はフラスコ状。
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イヌの埋葬。
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骨角器の装身具。写真は首飾りやヘアピンなどの装身具ですが、祭祀の時など特別な場面で身に付けたと考えられます。
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骨角器の漁労具。上段:銛、下段左:つり針、下段右:刺突具。
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狩猟は弓や槍が多く使われていました。先端部は石を使って鋭利に作られています。この写真はイノシシの骨に矢じりが刺さった痕です。
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西第Ⅱ号貝塚。中期中葉から中期後半の貝塚。厚さは約1.2m。貝の種類は、ヤマトシジミやハマグリ、アサリ、アカニシなどが確認されています。
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東第Ⅱ号貝塚。前期中葉から中期後葉の貝塚。厚さは約1.5m。貝の種類は、ヤマトシジミが主体。
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北捨場。
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土器片囲炉。
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案内所の隣りに見晴台。
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案内所のせいで若干見晴らし悪いです(笑)
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見晴台に設置されている案内板…『二ツ森貝塚は、明治24年から多くの研究者により調査されてきました。近年では、昭和37年、昭和50年に青森県教育委員会が、昭和63年に青森県立郷土館が発掘調査しています。また、天間林村では平成4年から継続的に調査を行い、二ツ森貝塚における縄文時代の人々の生活の様子が解き明かされてきました。縄文時代を想像しながら公園内を散策ください。』
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