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外ヶ浜には小さな集落ごとに神社があり、いずれも五穀豊穣・航海安全・豊漁などの神を祀っているものが多いです。
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一の鳥居の紀年銘「昭和62年10月吉日」。
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二の鳥居の紀年銘「昭和4年9月10日」
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かつての二ツ谷村。青森市の廣田神社の兼務社となっており、磯山稲荷神社と呼ばれているようですが、由緒等を調べていると、様々な文献で二ツ谷稲荷神社が見えます。神社付近のバス停は「二ツ谷算用師」で、近くの口広川に架かる橋の名は「二ツ谷橋」でした。古地図を見ると北から二ツ家→深泊→石浜→中師→広瀬とあります。現在は磯山地区の中の二ツ谷地区という位置付けでしょうか。
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二ツ谷の地名は同地の草分けが下北寄浪(脇野沢村)からの木浪家と三厩村算用師からの算用子家の2軒で、「フタツヤ」と呼ばれたことに由来します。
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天明8年の菅江真澄の『外が浜づたひ』には、「二ツ屋、杉の浦に至る」と見え、『錦の浜』では「こは秋もはや深泊あまの屋のひとつ二屋杉今津く」と詠んでいます。寛政2年高山彦九郎の『北行日記』では二ツ谷の家数8、9軒、杉の家数6、7軒とあり、伊能忠敬の『測量日記』では石浜7軒、深泊16軒、二ツ谷12軒、杉9軒と見えます。
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また、嘉永3年の松浦武四郎の『東奥沿海日誌』では「二屋村、人家二十軒斗、皆漁者なり、此辺内海にして波甚穏也、扨越て行まゝ又暫くにして深泊り村、同じく人家二十軒斗、並て石浜村、同じく漁者のみ也、人家十軒斗にして随分富る様子也、さて此処にてはたご屋を聞しに、今一り半斗も蟹田迄行ねばなしと云まゝに如何はせんと云ければ、幸其処に網を干しける老人すぐに我家に来り玉へと云て泊りけり」とあります。
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拝殿内。
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御祭神は保食神。明治6年3月に深泊稲荷神社に合祀され、明治8年2月復社、同9年12月村社。
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昭和40年頃までは、旧暦8月1日に磯山岩木山神社(かつてはもっと奥の山の沢に鎮座)と磯山稲荷神社を行き来してお山参詣を行っていました。
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磯山岩木山神社社殿内のお山参詣の写真に当稲荷神社が写っています。現在とは石段や一の鳥居などが異なっており、上記の「磯山稲荷神社?or二ツ谷稲荷神社?」の件で少々悩みました。そこで上記のように鳥居の紀年銘まできちんと見たところ、昔の写真には写っていない両部鳥居(一の鳥居)の紀年銘が昭和62年で、写真に写っているニの鳥居が昭和4年だったので納得できたところです。
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船絵馬がたくさんありますね。
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船も。
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大漁だー!
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やはり絵馬などを見るのは楽しいですね。
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石灯篭二対(慶應2年7月・大正11年旧正月15日)。
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狛犬一対(大正6年12月・青森市寺町石工小田桐佐之助)。
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本殿覆屋。
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末社。
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不明の石。
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