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高屋字福田の集落にある曹洞宗和光山吉祥寺。初め賀田村に開庵され、昭和23年に山号を得るまでは吉祥庵と称していました。文禄3年(1594)津軽氏の堀越進出に伴って廃庵となるも、天保3年(1832)に高屋村(坪貝村福田。国誌によりますと坪貝村は賀田村に続いていて一村のように見えると記されます。)に再建。※弘前藩が総鎮守とした弘前八幡宮が慶長16年に津軽氏の移動に伴い現在地に移転していますが、その他にも長勝寺・海蔵寺・法立寺・真教寺・専徳寺・明教寺・隣松寺・蘭庭院・高徳院・寿昌院といった寺院が大浦城から弘前城への移転に伴い移転しています。この吉祥寺は多くの寺社が移転した後に、不便を感じた民衆が天保3年に三国屋七兵衛を世話人として墓所付近に庵を建立したのが始まりとされます。庵主には妙善という尼を置き、誓願寺から阿弥陀如来像(県重宝)一体を譲り受け御本尊としました。昭和初期までは吉祥庵と呼ばれていたといいます。
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本尊の阿弥陀如来像は室町期の作(恵心僧都の作)といわれ県重宝に指定。本尊は元新法師村の太田家で祀られていたという伝承があります。現在弘前市立博物館に保管されています。よって当寺に来ても拝観することはできません。弘前市のHPで写真を見ることができますよ。
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壊れた案内板がありました。ギリギリ読めそうです。
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『阿弥陀如来像。鎌倉末期の90糎の木像恵心僧都の伝えあり。昭和37年(1962年)に県指定文化財となる。治承年間に延暦寺座主明雲の弟子蓮印が新法師に安置したといわれる。吉祥寺』
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吉祥庵再建記念碑。
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裏面に紀年銘(昭和9年5月)と発起人名。
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地蔵尊。
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石碑が3基。
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南無阿弥陀佛(嘉永2年5月15日)。
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餓死供養塔(南無阿弥陀佛・天明3、4卯辰年3月24日)。
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こちらは…読み取りにくかった。
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「文化7年(1810)」「當庵■々」などの文字。紀年銘は明治かな。
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