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今別町へやってきました。
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目的は新幹線ではなく、青函トンネル入口広場にあるトンネル神社です。
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北海道新幹線開業を記念し、今別町浜名地区の住民らによって自費で設置されました。
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由来…『昭和29年9月26日未明台風15号が函館湾を襲来、青函連絡船洞爺丸が遭難し、他の4隻と合わせて、1430名が死亡した。これを契機に翌昭和30年2月津軽海峡ずい道技術調査委員会が設置され海底トンネル建設計画が本格化した。長い期間をかけて断層、地質の調査、また先進導坑による掘削調査、工法技術の研究が行なわれようやく昭和46年9月本坑工事の着手となった。しかし掘り進む間には異常出水や軟弱断層等で苦闘し、難工事も、不撓不屈の精神でこれを克服し昭和60年3月遂に本坑が完全貫通した。この計画は現実的に不可能だとされていたが強い信念により完成することができた。この津軽海峡の海底トンネルを通して交流する風気を堅く信じたトンネルマンの心意気をいま此処で体に感じ「念ずれば願いの一心、岩をも通す」の信念を育み「旅行の安全、家族の健康、縁結び、合格と就職成就」等、幸運をもたらすパワースポットを北海道新幹線開業記念モニュメントとして祠堂を建立し、名称を「トンネル神社」、御神体は「叶明神」とした。』
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トンネル神社祈願効力(願いの一心岩をも通す)…『一.交通安全のご利益。一.合格就業成就のご利益。一.結婚子宝安産のご利益。一.事業繁栄のご利益。一.無病息災のご利益。』
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御神体叶明神。
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トンネル本坑が貫通した際に出た石です。
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貫通石。
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こちらもトンネル本坑が貫通した際に出た岩で、地元住民の方が所有していたもののようで、信念を貫く「貫通石」として設置されました。
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このラインから小銭を投げて…
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石の穴に通ればいいみたい。穴は人工的に開けたものですね。結構難しいです。特にサウスポーは不利。
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北海道新幹線風のトイレ。
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タイミング良く新幹線が来るとのことで、急いで青函トンネル入口広場へ。
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まむしに注意です。
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青函トンネルの本州側の入口。
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ここから全長53.85kmの世界一の海底トンネルで北海道と結ばれています。
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トンネル入口上部の題字「青函随道」の揮毫は、当時の中曽根康弘首相によるもの。
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本州で見る「JR北海道」の文字が新鮮。
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新幹線が来る時はサイレン音が知らせてくれます。
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新しく設置された展望台が逆に邪魔(笑)
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ここを通過する時はそんなにスピードは出ていないらしいです。とはいえ、一瞬ですね。
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以下、案内板より…青函トンネル(津軽海峡海底トンネル)は、津軽海峡の海底約100メートルの地中を掘削してつくられたトンネルで、本州は東津軽郡今別町浜名と北海道は上磯郡知内町湯の里を結ぶ全長53.9キロメートルである。
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青函トンネルのあゆみ
昭和30年2月、津軽海峡ずい道技術調査委員会が設置。
昭和36年2月、深海調査艇による海底調査。
昭和39年5月、北海道側で斜坑掘削開始。
昭和41年3月、本州側で斜坑掘削開始。
昭和42年8月、北海道側で斜坑底に到達、引き続き先進導坑掘削開始。
昭和44年2月、本州側で異常出水(最大湧水量12トン/分)。
昭和45年1月、本州側で斜坑底に到達、引き続き先進導坑掘削開始。
昭和46年9月、北海道側で本工事着手。
昭和49年1月、北海道側で先進導坑で異常出水(最大湧水量16トン/分)。
昭和49年2月、本州側で異常出水(最大湧水量6トン/分)
昭和51年5月、北海道側で先進導坑で異常出水(最大湧水量70トン/分)。
昭和53年10月、北海道側で陸上部が全て貫通。
昭和56年7月、本州側で陸上部が全て貫通。
昭和58年1月、先進導坑貫通。
昭和60年3月、本坑全貫通。
昭和62年10月、青函トンネルを初めて試運転電車が走行。
昭和62年11月、青函トンネル完成。
昭和63年3月13日、海峡線開業、青函連絡船廃止。
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明治6年1月から青森、函館間の津軽海峡を弘明丸が初代青函連絡船として就航し、幾多の船舶に引き継がれた約120年の歴史がこの日を以て閉じられた。
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