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鬼の城と呼ばれる山風森(弘前市三和下池神)へ登山。
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特に道が無く、どこから登っていいかわからず。
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標高69.6mの小さな山なのでとりあえず上に進みます。
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最初は藪が多いのですが、頂上が近づくに連れて歩きやすくなってきます。
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鬼の城と呼ばれる大石が見えてきました。
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想像以上に大きい石でした。
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周囲には大小色々と石が転がっています。
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子供でも普通に上れそうですが、なぜか梯子があります。石の上に上れということでしょうか。
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一応上ってみました。梯子使わずに。特に何かあるわけでも、何か見えるわけでもないようです。
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鬼の城と呼ばれる巨石群に対峙して1基の猿田彦大神碑がありました。
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紀年銘は天保14年(1843)7月19日。
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上部は欠けています。
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鬼の城から少し登ると山頂です。
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山頂。
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山の頂上に小祠(平成6年5月19日(旧4月9日)建立)があります。
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その中に神像と鬼が安置されていました。
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鬼はどう見ても鳥居の鬼コのスタイルです。ちなみに色は赤で、頭頂部は平らで、角も確認。これまで鬼神信仰、岩木山山麓を中心とする鬼(大人)、水害地域の鳥居の鬼コを分けて考えてきましたが、三和村はかつての水害地域です。同地区には他にも鬼コがおります。ここは山の上ですが、恐らく鳥居の鬼コで間違いないでしょう。はたしてどこの鳥居にいた鬼コなのか。
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棟札(大正9年旧4月8日)によりますと、一緒に祀られているのは大元尊神、罔象女神(鬼コの横)、五帝龍神(手前)。
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つまり山の神ではなく、水の神が祀られているのがわかります。
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更にこれを鳥居の鬼コと決定づけたのは、近くの日吉神社(三和上池神)の鬼コです。下の写真が日吉神社の鬼コ。
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製作者が同じ人ではないかと思うくらい大きさ、スタイル、顔の形や表情(特に眉毛・眉間・口)などがそっくりなんです。
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山風森の麓には大森川が流れています。
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山風森橋。
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結構水量が豊富です。
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