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法堂。
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でかっ!法堂は住職が仏の代わって須弥壇上で説法するためのお堂で拈華堂とも言います。本来、仏像は祀りませんが、今は千手観音菩薩を祀っています。
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釈迦苦行像は愛知万博のために建立、その後パキスタンイスラム共和国より奉納。
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法堂天井画。平成15年横河電機(株)の寄進。法雨をそそぎ仏法の恵みを与えます。
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法堂(はっとう)…『昔は、建長寺全体が修行道場であり、山内にいる僧侶全員がこの法堂に集まって、住持の説法を聞き、修行の眼目としました。388人の僧侶がいた記録があります。修行道場は、西来庵に移り雲水は、そこで修行しています。現在は法要・講演・展覧会などに使われています。この建物は江戸時代・文化11年(1814)に建長寺派の寺院により再建されたものです。関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としています。天井の雲龍図は創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれました。』
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法堂と仏殿。
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法堂横にあった建物。
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大庫裡(1階宗務本院寺務所入口・2階応真閣)。
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唐門。
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煌びやか。
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唐門(国重要文化財)…『この唐門は、桃山風向唐破風(屋根の端の山形をなす所が、反曲した曲線状になっている破風)で漆塗りの四脚門です。透彫金具が各所に使用され、仏殿の装飾技法とよく似ています。寛永5年(1628)、東京・芝・増上寺で徳川二代将軍秀忠公夫人(お江の方、家光の母)の霊屋の門として建立。その後、正保4年(1647)、仏殿・西来門と共に建長寺に寄附され、方丈(龍王殿)の正門として使用。平成23年(2011)、解体修理がほどこされ、輝きをとりもどしました。』
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唐門(裏から)。
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大玄関。
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龍王殿・方丈。
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方丈(龍王殿)…『方丈とは本来住持が居住する場所です。現在は法要・坐禅・研修の場所として使われています。この建物も、総門と同じく京都・般舟三昧院より昭和15年に移築されました。建物は享保17年(1732)の建立で、元は皇室のお位牌を安置するためのものでした。』
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得月楼(1階応供堂、2階得月楼)。
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庭園。日本最古の禅庭園。方丈の背後にあり、大覚禅師の作庭で■(アップ時に!)碧池を中心とした貴賓を応接するための禅寺を象徴する庭園。江戸時代に改修され、池の中に島をおき、橋を架け、池の辺には石、松等を配し半僧坊の山を借景とする瀟洒な名園です。
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得月楼と庭園。
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境内奥の山の中腹(徒歩10分程)に、建長寺の鎮守・半僧坊大権現が祀られています。明治23年(1890)に、第二百三十五世住職霄貫道が静岡県奥山方広寺より勧請したもので、霊験あらたかで参詣者が絶えません。毎年正月、5月、9月に大祭祈祷会を行っています。鎌倉市内、相模湾、富士山を眺望できる絶景の地です。半僧坊には時間の都合上、残念ながら行けませんでした。天狗見たかったー!
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巨福稲荷大明神へ。
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社殿。
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扁額。
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狸がいました。
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比田井天来先生碑。
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震災追憶供養塔碑。
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曙観音。
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東屋近くに石碑が並んでいました。
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石塚友二句碑…「好日やわけても杉の空澄む日」。
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花塚。
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茶筅塚。
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茶碗塚。
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その他横須賀開運講碑など。
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