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慶長年間(1598-1614)創建。御祭神は日本武尊・弟橘媛。江戸時代は品川宿猟師町の鎮守。
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江戸漁業根元之碑。
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日本武尊の東征の際、海神の怒りを鎮めんと入水した妃の弟橘姫命の着衣が品川沖に流れ着き、これを祀ったのが始まりとされます。
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手前の狛犬はかっぱ狛犬と呼ばれ、昔は神社の前まで海が広がっていたため、頭頂部の窪みにロウソクを立てて灯台代わりに使用したそうです。
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かつてこの近くには木造の大正橋があったそうです。
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その親柱らしきものが境内にありました。
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栄亀大明神。
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栄亀大明神付近に安置されている古そうな狛犬。
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青銅狛犬。
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小さい神社ですが4対も狛犬がいるんですね。
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品川区指定有形文化財「鏝絵天鈿女命功績図」について。
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『本殿正面奥の二枚扉の内面にある鏝絵は、幕末から明治にかけて活躍した左官の名工、伊豆の長八(本名入江長八=1815-89)の手になるもので、向かって左扉には上の方に天照大神、下の方に天鈿女命を描き、右扉には猿田彦命を描いている。これは、天照大神が素戔鳴命の乱暴によって岩戸に隠れて世の中が暗くなった時、天鈿女命が滑稽な踊りをして神々を笑わせ、それに誘われて天照大神が岩戸を開き、世の中が再び明るくなったことと、天照大神の子孫が地上に降った際、天鈿女命はこれを妨害した猿田彦命を服従させて道案内をさせたという神話に基づいている。共に漆喰の壁面に鏝で像を盛り上げ、浮彫風に彩色したもので、製作者の独自の発想と創造による技法である。』
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品川区指定有形文化財「添浦高札」について。
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『高札とは、規則や命令などを書き、往来など見え易い所に掲げて世間に知らせた板札をいう。その中でも、全国津々浦々に建てた高札を「浦高札」と呼び、江戸時代初期の元和7年(1621)、幕府によって始められたとされる。江戸幕府は東西両海上航路の活発化に伴い、海難事故が続出したため、その対策として、正徳元年(1711)、全国の浦々に触書の高札を建てた。これが「正徳の浦高札」と呼ばれ、本高札は、その翌年に追加補充として発せられた「浦々添高札」である。御城米船破船の際の処置方心得書を主とした二ヶ条からなる触書で、区内に現存する2枚のうちの1枚である。他の1枚は、品川歴史館に保存されている。』
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末社稲荷神社。
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