さて、こちらは平川市高畑の神明宮。再訪です。由緒等は以前の記事を参照してください。
「高畑城跡・高畑神明宮 (平川市高畑)」
「高畑城跡・高畑神明宮 (平川市高畑)」
境内入口は石垣(昭和14年6月16日、日支事変記念、発起人斎藤惣太郎他10人奉納)で道路と仕切られています。石造鳥居(昭和3年7月16日、高畑・吹上村中、御大典記念建立)。社号標「村社神明宮」(昭和3年7月16日、御大典記念、吹上・高畑村中総代赤平万吉成田治三郎ほか奉納)。御神灯一対(明治16年7月16日、施主吹田四五兵衛他7人)。御神馬(支那事変記念、昭和13年旧9月16日、吹上・高畑両町民一同、発起人成田豊吉ほか)。狛犬一対(明治32年7月16日、発起人赤平利兵衛他12人、石工斎藤八左エ門)。
社号標。
参道。
高畑城跡標柱…『築城年代は不詳。大光寺城南備の砦で、元亀(1570~)の頃は平岡惣右衛門盛影が城主であったが、乳井大隅建清に攻略された。その後、南部勢が大挙してこの城を攻撃したが、遂に落城しなかった。この城は、三郭から成っていたという説もあるが判然とせず、今は北方の堀跡に面影を留めるのみである。』
参道鳥居。
手水舎。
拝殿正面。石燈籠一対。
拝殿正面。御神馬(昭和32年旧9月)と狛犬一対(明治32年7月16日)。
拝殿。勧請年月日不詳。天照皇太神。例祭6月16日。高畑城主平岡惣右衛門建立、天正年中退却以後高畑吹上両村氏神で崇敬。隣接する吹上部落とは古くから一村同様に扱われ、氏神も共同で祭っています。
向拝下。
このタイプは見たことないかも(笑)
本殿。
扉も開いており、状態があまり良くありませんね。
本殿の懸魚(ないけど)の上辺り…
怖っ!
本殿横の建物。不明。
本殿横にあった石碑。
どうやらかつての石燈籠のようです。
こちらの建物は不明。
庚申塚(文化五戊辰年五月二十五日、村中)
日露戦役記念碑(明治四十三年七月十六日、戦死者名17人、寄附人名25人、世話役赤平源太郎他3人)
馬頭観世音塔(昭和三十五年旧三月二十三日、高畑・吹上村中奉献)
社殿横に小さな狛犬がいました。
筆塚。
裏面の文字ははっきりと読み取れますが、平仮名部分が私の苦手な崩し字だったので読みませんし、読めません。読みたい方は現地へ。冒頭は「権大僧都福泉院即洞法印は…」から始まります。紀年銘は慶應4年3月25日。總門弟等建立。
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