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下車力町盛野の八幡宮。
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明暦3年(1657)8月に4代藩主信政公が柳を御手植し、それが大木となり大柳と呼ぶようになりました。柳の枝は四方に伸び、大股ができて小祠を祀るに相応しい木となり、信仰が厚かった熊谷与三郎、蝦名与八、白戸治郎らが相謀り、明治38年8月にお堂を祀ったのが始まりとされます。当時は大柳の木の股にはさまれるようにして鎮座。
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昭和14年8月の台風にてお堂が吹き飛ぶも、同年9月には部落民あげて覆屋を建立。また、昔はこの辺りに狐がよく出没し、道行く人を悩ましたそうで、その難を遠ざけるために八幡様を御祭神として村方が建立したとも伝えます。現在、大柳は残っていません(※車力村史では根本のみが残されているとありました)。
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御祭神は誉田別尊。
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奥殿には神鳩一対。神鳩と御神体は車力村史で見ることができます。
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水は無かったけど池みたいのがありました。
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本殿裏手の木。
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