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石井神社由緒。
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『当社は嵯峨天皇の御代弘仁弐年九月弘法大師により発現せられたる社にして、級長彦命・津長井命・罔象女命の三柱を奉齊し、亀井戸郷中図子の鎮守社にして毎年9月28日を以て例祭日となし当日、薩摩芋数拾俵町内住民より献じ後、これを参拝者及び里童に授け與う別名おしゃもじ様の芋祭りと称す。熱病除、百日咳除におしゃもじを拝受して特殊霊験顕著なりしは数多き崇敬者ありし事で知るべし。』
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『当社は祭神、級長彦命、凡象女命、津長井命をまつり、9月28日を例祭としている。俗に「おしゃもじ稲荷」とよび、咳の病をなおす神として信仰され、神社からおしゃもじ(飯杓子)1本をかりてきて、自宅でこれを神体として拝み、病が治ればお礼に新しい飯杓子1本をそえて、もとの飯杓子とともに2本を神社に返す。当社は石器時代の石棒を神体としたが、いまでも石棒を神体とする神祠は各所に存在する。例えば「練馬区石神井4丁目 石神井神社」、「葛飾区立石8丁目44 熊野神社」、「豊島区西巣鴨4丁目8 正法院の石神」、「板橋区仲宿28 文殊院の石神」などがある。鳥居竜蔵博士は、亀戸に石棒をまつる神社のあったことは、他の例からみて亀戸が石器時代から存在していたと延べている。「元禄の頃出版した「江戸鹿子」を見ると、亀戸に石神社(いまの石井神社)と云うのがあって、同書は高台にある石棒を祭ってある同神社と共に記して居ります。(中略)亀戸の石棒に対して面白いのは、吾妻の森から北の方、中川に接した立石村に熊野神社があって、此処に石棒を祭っていることです。私は此の立石の石棒も亀戸の石棒と共に、すでに其時代から其処にあったものと思われます(鳥居竜蔵書「武蔵野及其周囲」)」。飯杓子を奉納する神社は、石棒を神体とすることが普通であるが、これは石棒を祭る神社を石神(しゃくじん)とよび、「しゃくじん」が「しゃくし」となり、飯杓子を奉納することになった。また石神を「せきしん」とよぶこともあって、「せき」が咳の病と同音であるから咳の神にもなった。当社は、昭和20年の戦災で、社殿を焼失し、いまは小祠となっている。当社の飯杓子奉納のことは、文政3年(1820)刊行の、大石千引著「野万舎随筆」に、「咳神、葛飾の亀戸村に、オシャモジという神の祠有り、神前に杓子を夥しくつめり、依て其故よしを土人に問けるに、咳病を煩う人、此神に願たてぬれば、さはやぐ事すみやかなり。此故に報賽に杓子を奉納するといへり。」と述べ、その由来の古いことがわかる。』
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比較的新しいシャモジもありましたよ。
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天水桶。
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狛犬。
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なかなか個性的です。
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石井神社再建の趣旨碑。
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社殿。
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社殿内。
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大きなシャモジがありました。
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