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JR桜木町駅から紅葉坂を上ります。
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紅葉坂の坂下付近。
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紅葉橋。
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昭和57年3月竣功。
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横から見るとちゃんと紅葉しております。
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紅葉坂。
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坂の途中から伊勢山皇大神宮・成田山横浜別院方面へ行けます。
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『国道16号紅葉橋交差点と横浜駅根岸道路とを結ぶなだらかな坂。歩道から車道まで横浜でも珍しい総石畳の風情のある道で全長は約300m程。昔は楓の木が多かったため、紅葉坂と呼ばれるようになった。起点の紅葉橋交差点は横浜ランドマークタワーから西側に約300m進んだ場所にあり、横浜みなとみらい21のビル群などが間近に見られる絶景ポイントである。』wikipediaより。
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言うほどなだらかではない。
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開港後に神奈川奉行所が置かれ(安政6年・1859年)、坂の両脇には紅葉生い茂り、明治5年(1870)に紅葉坂と命名されたようです。伊勢山に皇大神宮が遷座した後は桜の木が移植され、桜の名所としても親しまれたそうです。
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下町のスカイツリーがそうであるように、ランドマークタワーは狙わずとも画角入りしてきます。
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紅葉坂の坂上。
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『金星太陽面経過観測記念碑』…「明治7年(1874年)12月9日メキシコ観測隊(隊長フランシスコ ディアス コバルービアス)ならびに日本水路寮の海軍中尉吉田重親らは下記地点において金星の太陽面経過の観測に成功した。ここに100年の記念日を迎え、神奈川県及び横浜市の協力を得てこの碑を建て後世に伝える。第1観測地点(野毛山)東経139°37’48”北緯35°26’45”。第2観測地点(山手)東経139°39’02”北緯35°26’07”。昭和49年(1974年)12月9日 金星太陽面経過観測記念碑設立期成会」
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左には伊勢山ヒルズというとても立派な結婚式場がありました。
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右に神奈川県立青少年センターがあり、横浜開港時には神奈川奉行所がありました。
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『横浜開港にともない安政6年(1859)6月4日、開港場建設の事務に当たった外国奉行酒井忠行・水野忠徳・村垣範正・堀利煕・加藤則著の5名に神奈川奉行兼帯の命があり、青木町(神奈川区)に会所、戸部村宮ヶ崎(西区)に奉行役所を置き、また横浜村(中区)の中央に運上所を置いて事務を執りました。この地にあった奉行役所は戸部役所と呼ばれ、内国司法・行政の事務を取り扱い、運上所では、関税及び外務全般の事務を取り扱いました。万延元年(1860)神奈川奉行は専任となり、松平康直・都築峰暉が任命されました。明治元年(1868)3月、明治政府は新たに横浜裁判所を置きましたが、4月神奈川裁判所と改め、これを2つに分け横浜裁判所・戸部裁判所とし、運上所並びに戸部役所の業務を引継ぎ、神奈川奉行所は廃止されました。その後、明治3年、神奈川県庁と改称されました。横浜市教育委員会文化財課 社団法人横浜国際環境協会 平成6年3月』
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神奈川県立青少年センター前にあった希望・友情の像。
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坂下方面はこんな感じなので…
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青少年センターの門を能楽堂方面に曲がり、逆方向から高低差を見てみました。
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