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かつての尾崎村。北西に新屋村、西に町井村、東南に広船村、東に木戸口沢に向かう道が通い、北は崖や河川跡の窪地も残る複雑な地形の水田、西と南は浅井川と崖の切通しを越え水田が広がり、東は奥深い山地。国誌によりますと「東は山に倚り西に平田あり。筵を織るを産業とす」とあります。江戸期を通じて藩の竹守もいる矢柄用の竹林がありました。山地には4代藩主信政のときに朝鮮人参などの薬草が植えられていたそうです。
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尾崎村には村抱えの廟所とんせい庵、八幡宮地、春日社地、稲荷社地、観音堂地(清太夫抱え)、寺屋敷(道心者庵)などがあります。八幡宮は尾崎八幡宮。その尾崎八幡宮のすぐ近くに春日神社と稲荷神社が鎮座しています。
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春日宮と稲荷社は貞享4年に山伏嘉昌院抱え。尾崎村誌より…『一、春日堂 貞享四年建立 山伏嘉昌院六間に四間坪数弐四歩(中略)右の者は貞享四年調当尾崎村御検地帳之表寛政七年の調に依ると 春日堂 横一尺五寸 奥行二尺五寸板葺東向…』とあります。境内には池がありますが水は涸れています。狛犬の紀年銘は昭和6年旧6月11日。
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春日神社らしく、本殿脇には一対の鹿。
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鹿の絵馬もありました。
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こちらは稲荷社です。境内はかつてかなり高い場所にあり、一説には尾崎城本丸跡ともいわれていましたが、近年になり宅地造成のために削平されています。
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シンプルな建物(一間に一間半程の切妻造)です。貞享4年建立、山伏嘉昌院。
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本殿は丁寧に祀られており、両脇には狐様一対。
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境内には庚申塔などが並べられています。一基は文字不明。庚申塚は建立年不明。二十三夜塔は明治15年9月。青面金剛は寛延4年8月26日。十八夜は建立年不明。
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