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病厄除け守護神廣田神社。
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雪のためにすべてを紹介できません。弘前市はこんなに積もってなかったのに。
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とても大きな鳥居ですね。
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社号額は当時の内閣総理大臣大平正芳の揮毫。
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御祭神は天照大神荒御魂(主祭神)、大国主命、事代主命、蛭子命、天児屋根命、藤原実方公(中古三十六歌仙・左近衛中将藤原実方朝臣・源氏物語の光源氏のモデル)、進藤庄兵衛正次翁(第2代青森城主)・庄兵衛夫人、乃木希典命、倉稲魂命、大宮能売命、猿田彦命、市杵島姫命、弥都波能売神、底筒男命、中筒男命・表筒男命。
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御神徳は病気平癒・無病息災・交通安全・家内安全・商売繁盛。例祭日は6月20日(大祭)、6月19日(前夜祭・宵宮)。
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とても立派なジャンバラ型注連縄。
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長徳年間(995-999)、左近衛中将より陸奥守に任ぜられた藤原実方公が蝦夷鎮撫のために外ケ浜貝森村(現青柳付近)に夷之社(えびすのやしろ)を創建し、陸奥国長久の平安を御祈願したことが発祥。
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御祭神は神功皇后が新羅討伐の際に神託があった天照大御神の荒御魂を主祭神とし、これに国土経営の神である大国主命、事代主神、蛭子命を相殿したことは実方公の深慮から出たものであり、後世その功績を思い、永くその英霊を慰めるべく一面和歌の神として廣田神社に配祀。
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寛永2年(1625)に信牧公が青森町を開設する際、開港奉行であった森山弥七郎に命じて青森湊鎮護のために青森の産土神として町の中心に遷座。青森城代(青森御仮屋)2代目進藤庄兵衛正次(1614-1686)に指揮をさせて青森の開拓・発展を推し進め、現在の青森商業発展の礎を築きました。その偉業を称えて青森の人々は開拓の恩人として、庄兵衛が深く崇敬をしていた廣田神社へ青森守護神として配祀。なお、庄兵衛は延宝7年(1679)廣田神社の境内末社であった青森観音堂(観音神社。正保2年(1646)建立。明治の神仏分離令により廃止。※祀られていた庄兵衛夫妻の木像は青森大火により焼失。昭和33年の青森市制施行60周年に市民等の奮起により木造を復活させ廣田神社へ配祀)の再建にも尽力しています。
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天明4年(1784)疫病が流行した際、その惨状を徳川将軍聞召され、江戸幕府より疫病除けとして箱入札一体、白木造御祠入御弓二張、御矢二具を代官である笹森権蔵、佐藤忠太夫の両名宛に送付され、これを外ケ浜産土神に奉安して息災を祈るよう命があり、同年当神社に奉祀・祈願して病魔を退散して以来、病者の守護神として広く崇敬を集めました。 
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藩公は青森に来た際に親しく参拝し、天保5年(1834)には御紋章入りの幔幕を奉納の上、本殿、鳥居、神橋などを再建。昭和20年の青森大空襲により御社殿をはじめとした社宝の数々は無残にも灰燼に帰しましたが、昭和47年に氏子崇敬者の篤い敬神の心により現在の御社殿を再建。平成8年には御鎮座一千年記念大祭を盛大に斎行。
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境内由緒案内板より…『当神社は往古一条天皇の御代・長徳年間(西暦996年)時の左近衛中将より陸奥守に任ぜられた藤原実方公が蝦夷鎮撫の為、外ヶ浜貝森村に「夷之社」を創建して陸奥国長久の平安を御祈願されたのに発祥する。天明4年(西暦1765年)疫病大いに流行し、その中でも深沢部内が猛威を極めた。その惨状を徳川将軍が聞き召され、江戸幕府より疫病除として箱入り御札一体、白木造り御祠入御弓二張、御矢二具を、時の代官笹森権蔵、佐藤忠太夫の両名宛に送付された。「之を外ヶ浜産土神に奉安して息災を祈れ」との命があったので、同年之を当神社に祭祀、祈願して漸く病魔を退散する事を得た。以来廣田社(廣田宮とも社とも称呼されていた)は霊験あらたかなる、疫病の守護神として広く一般の崇敬を集めるようになった。当神社は、時代の流れに起こる諸問題を克服しながら、幾度(4回)となく遷宮が行われ、明治34年(1901年)に現在の社地に鎮座となった。平成8年(西暦1996年)に鎮座一千年祭を挙行し、その記念事業として社務所・会館を建設し、現在に至る。※以下、御祭神・例祭日・御神徳については省略』
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社務所。
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手水舎。
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御鎮座一千年記念碑(平成8年建立)。裏にある御鎮座一千年記念歴代宮司碑は雪の中。
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狛犬一対(大正15年6月20日、青森市石工:山田末吉・山田石太郎)。狛犬と狛犬の間に道路があります。道路は後に設けられたため、このように阿吽が分断されているのでしょう。
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金生稲荷神社。
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雪のため正面から参詣できず。
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でも安心してください。
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横に道がありました。
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この二十三夜大神の鳥居をくぐると金生稲荷神社拝殿前に行けます。
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御祭神は倉稲魂神・大宮能売神。
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天保9年(1838)創建。
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現在の社殿は戦後の廣田神社の社殿を移築し遷座したもの。明治期に寺町にあった稲荷神社を合祀、昭和になって浪打稲荷神社も合祀。
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創建当初から青森経済の中心地に鎮座し、五穀豊穣・商業発展を近くでお護りいただいたことから、"金を生み出す稲荷さま"ということで金生稲荷と呼ばれるようになったそう。
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金生稲荷神社の裏へ。
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二十三夜大神。御祭神は二十三夜大神・猿田彦神。
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正保-文政年間(1645-1829)頃に建てられた石碑が並べられていました。
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その横には乃木神社。御祭神は乃木希典命。昭和8年創建。現社殿は昭和34年に外ヶ浜広瀬村(現蓬田村広瀬)の田中吉兵衛宅にあった社殿を寄進されたもの。乃木将軍は文武両道の神様といわれ、学業や勝負事の御神徳あります。
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廣田苑。昭和53年に整備、昭和54年5月21日完成。製作は黒石造園主渡辺撤美氏。
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八大龍神宮が鎮座。
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雪でわかりませんが橋を渡ります。
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天保13年(1842)創建。
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当初は弁財天堂と呼ばれていたそうですが、いつしか八大龍神宮と呼ばれるようになったそう。
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現社殿は明治19年建立。小さいけど立派な社殿。
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周囲には大小2つの滝と神池がありますが、雪でまったく見えません。大小2つの滝は雄瀧「龍神の瀧」・雌瀧「護神の瀧」というそうです。なお、神池の地下水の色は古くから黒く、これは悩みを吸い取ってくれるために黒くなったという言い伝えがあります。
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十二支開運燈籠もほぼ雪に埋もれていました。この燈籠の周囲にはその名の通り十二支を配しており、自分の生まれ年である干支を撫でると開運招福の御利益があるそうです。珍しかったので十二支をすべて紹介したかったのですが、雪のため近寄れず(笑)
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八大龍神宮前から見た金生稲荷神社。
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庖刀碑。平成8年3月18日建立。使用出来なくなった庖丁などを埋葬し慰霊するために青森清庖会が中心となって建立。
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社号標(昭和39年9月20日建立)の裏にある千鶴萬亀之塔。昭和43年建立(明治100年記念)。その横には満州獨立守備隊員顕彰記念碑(昭和56年8月22日建立)もあります。
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千鶴萬亀之塔の説明は雪で見えず(笑)
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日本並び青森を代表する方々の直筆にて書かれています。
題字・東久邇元宮様
第一条・佐藤栄作(第61.62.63代内閣総理大臣)
第二条・竹内俊吉(元青森県知事)
第三条・津島文治(元青森県知事・元参議院議員)
第四条・佐藤尚武(元参議院議員)
第五条・長谷川才次(時事通信社 初代代表取締役)
結文・塩沢清宣(元日本郷友連盟会長)
鶴亀の画・棟方志功(版画家)
門柱標・岸信介(第56.57代内閣総理大臣)
門柱標・荒木貞夫(元陸軍大将)
碑文・有末精三(元日本郷友連盟名誉顧問)
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