葛川館跡標柱。
『築城年代、城主は不明。郭の三方は断崖で、南側の台地続きを堀で切断した一郭の館跡である。神明宮境内になっている郭内に、関ヶ原合戦に西軍の武将であった大谷刑部吉継の子と、越後の武将上杉景勝の重臣直江山城守の弟が植えたという伝説をもつ樹齢300年を越す松と杉がある。』
さて…山城へと登りますか…。
山道です。
結構登りますよ。参道途中にかつては朱塗の木造両部鳥居があったようですが、現在はその痕跡のみです。
到着。境内入口には「神明宮」と刻む門柱のような石柱(昭和3年10月16日、成田子之助建立)があります。
場所はかつての葛川村。享保年間(1716-1735)には折戸村とも呼ばれていたそう。国誌によりますと、「深山の中、浅瀬石川の側にあり。炭を焚、薪を樵て産とす。土地磽カク(漢字:石+角。小石などが多くて地味がやせた土地)にして作毛少し」とあります。
旧村社神明宮。御祭神は天照皇太神。例祭日6月16日。
文禄元壬辰年(1592)勧請。大きな草鞋が社殿前に奉納されています。
本殿覆屋。
末社馬頭観世音。
末社稲荷神社。
こちらは建物には特に何もありませんでした。
建物内に覚書(神明宮・稲荷神社等の建物の新築・改築年月日など)がありましたが、よく見えませんでした。
葛川館跡標柱に説明があった御神木。
樹齢300年以上。
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