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鎮守橋を渡ります。
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一の鳥居横には東海七福神の恵比寿様。
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御祭神は高おかみ神・豊受姫之神・天照皇大神・須佐男之尊・手力雄之尊。
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和銅2年(709)奈良の元官幣大社・丹生川上神社より高龍神を勧請、長元2年(1029)神明宮(豊受大神・天照大神)、宝治元年(1247)京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、古より品川の龍神さまとして、源氏(康平5年(1062)に源頼義・義家が戦勝祈願奉幣)、徳川(天正18年(1589)家康公の東海道御通行の際に御愛蔵の左文字壱振りを奉納。翌年御自身の武運長久を祈られて神領五石の朱印を寄進。その後幕末まで歴代将軍より朱印を寄進。関ヶ原の戦い・大阪冬の陣には秀忠公の戦勝祈願参詣)、上杉等、多くの武家の信仰を受けました。
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日本一美しいとも言われ、江戸牡丹最高傑作と名高い人気の狛犬(明治29年、石工栗原巳之吉)。
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貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していましたが、明治8年に荏原神社へ改称。
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神殿に掲げる荏原神社の扁額は内大臣三条実美公、貴布禰大明神の扁額は、徳川譜代大名源昌高のお染筆。
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祭礼は6月最初の週末に行われ、南の天王祭(※北の天王様は品川神社)・かっぱ祭り等とも呼ばれており、神輿の海中渡御で大変人気があります。御神面神輿海中渡御は都内唯一の祭り。
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約1300年昔、荏原神社の氏子区域である天王洲は昭和初期まで海でした。室町時代に霊夢によって海面に神々しい光を放つ牛頭天王(須佐男之神)によく似た金色の御神面がこの地で見つけ出されたことから、御神域として禁漁区となり、京都の祇園祭に倣う神輿洗いの神事が行われるようになったそう。このことから名も無き海域が天王洲と呼ばれるようになりました。御神面の須佐男之神は水神様でもあり、かっぱが水神様の使いであることから、祭礼に参加する崇敬者たちをかっぱになぞらえて俗称「かっぱ祭り」と呼ばれるようになったそうです。
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明治元年10月12日、東京遷都の際をはじめとし、同年12月8日・翌2年3月27日の明治天皇京都・東京行幸の際にも当神社に行幸し内侍所とされました。明治2年英照皇太后東京行幸の際にもお立ち寄りになりました。
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皇太子殿下御降誕記念碑。
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末社。
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荏原神社」HP
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