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かつての新里村。貞享4年検地水帳には光宮太夫抱えの熊野堂や村中抱えの稲荷社地があります。
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新里村稲荷宮は寛文元年(1661)に村中繁栄・五穀成就のために建立又は再建。御祭神は倉稲魂命。嘉永7年(1854)の棟札あり。嘉永6年12月に堂宇焼失のため、それより古い棟札はすべて焼失したといいます。明治初年に新里村の熊野宮に一時合祀。
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奉納された物にはいずれも「福田子村」とありました。神社隣の建物は福田子集会所です。現在の福田村とは場所が少し離れますが、かつては福田村と称したのでしょうか。ちなみに現住所は弘前市新里西里見です。
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菅江真澄が「津軽のをち」で、寛政9年に外崎村の枝村寺内村に板碑があるのを聞き、福田村でこれを見つけ、「福村のこなた福田といふ村の田の岸に、おどろ夏草しげりあひたるをかい分れば、正安二年、三年の石そとばの、ふたつまでありける也けり」と記しています。これについて菅江はどんな人の卒塔婆なのかはわからずと記しています。
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社号標。
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裏には「昭和3年旧6月9日福士正勝敬白」とあります。
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庚申塔(慶応4年3月・村中)。
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末社。
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あまりこの地区には詳しくなく、住所の変遷に少々疑問があったので熊野宮方面へと散策してみました。
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福士医院という大きな病院の前を通ったら、病院の敷地内に鳥居が見えましたので詣でました。
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病院とかかわりのあるものかどうかは不明ですが、そこそこ立派なものです。病院ができる以前より、ここに鎮座していたような雰囲気です。
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紀年銘嘉永元年(1848)の猿田彦大明神もありました。
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