イメージ 1
旧村社大山祇神社です。山へ登ります。
イメージ 2
石段の高さや幅が合わないのか…距離はありませんが足にきました。
イメージ 3
イメージ 4
御祭神は大山祇命。
イメージ 5
かつては山神宮と称しており、文録3年(1594)、村中が山中安全のために勧請と伝えます。旧村社。
イメージ 6
菅江真澄が次のように記しています…『浜横沢を出立して、長間瀬、横山、羽立(派立)、小野畑などという村々が見えた。鍵かけ坂をひとつ越えてきて、黒森をさして、湯にかよう路を横切って長坂をのぼると、館前というふるい城柵のあとのあたりでかろうじて川を渡り、目内崎、漆原の部落も過ぎて、種里の村長の家で中宿りした。行く道の左方、右方の田はことごとく川波がうちよせて荒れている。鬼袋という村があった。このあたりの田は川沿いに作ってあるので、ときたま流水は岸をこえ、田も畠も淵瀬となり、農作が被害をうけるので、里の人々は嘆きながら道をつくっていた。椰波須山を眺め、一つ森村も過ぎて、大然村についた。この村のうしろに桐山があって、大きな白鉄樹(アオギリ)が茂っていた。』。
イメージ 7
社殿内。
イメージ 8
猿田彦大神(紀年銘明治)。
イメージ 9
猿田彦大神碑の周囲や境内には石がいくつか転がっていましたがいずれも不明です。
イメージ 10
鬼袋村は北は種里村、南は一ッ森村、東の赤石川対岸は小森村に接します。村名の由来は山中の事故を鬼と関係づけ、鬼袋と呼称したと伝えます。
イメージ 11
元禄3年(1690)には赤石組に鬼ヶ袋とあり村位は中。享保12年(1727)種里より分離して一村になったといいますが、明治初年の新撰陸奥国誌によりますと種里村の支村とあります。
イメージ 12
イメージ 3
イメージ 2