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鯵ヶ沢町一ツ森町。大然大山祇神社はかつての山神宮で、御祭神は大山祇命。通称マタギ神社。
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当神社で安全と収穫を願ってから入山するそうです。赤石川沿いの一ッ森村・大然村における一流のマタギ集団を昔から赤石マタギと呼びます。国日記などにも狩猟における大又鬼として大然三九郎・政次郎の名が伝わっています。
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大山祇神社の社標はまたぎ記念碑にもなっており、町の有形文化財に指定されています。大正10年(1921)の山の神の祭日に建立されたもの。側面には大正3・4年に大熊6頭を狩った記念として当時のマタギの名が刻まれ、裏面には旧藩政時代以来の大又鬼、小又鬼、鉄砲上手、熊猟多の人の名が刻まれています。
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『大山祇神社の社標側面にマタギの記年銘が刻まれている。マタギとは熊狩り等をする人のことで、赤石川沿いの一ツ森村・大然村のマタギ集団を昔から赤石マタギといった。大正10年(1921)に建立されたこの社標の側面には、大正3・4年に大熊六頭を狩った記念として、当時のマタギの名が刻まれている。裏面には、藩政時代以来のマタギの名が刻まれている。かつては神社前の一帯が大然村の集落であったが、昭和20年(1945)の大洪水により消滅した』
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菅江真澄はこの集落を大然に訪れた際、然を陸奥の神社に多く見られる志加利和気の神、すなわち鹿猟と同意であろうかと述べています。また、寛政10年6月7日薬草採取を目的に当地に至りましたが、赤石川増水のために薬草採取を断念して目内崎村へ引き返しています。
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昭和20年3月22日に赤石川が氾濫し、川が塞き止められ、それが鉄砲水となって寝静まった集落を遅い(23-3時頃)、21戸のうち20戸が根こそぎ流失、87名(88名の記録もあり)の生命を奪い、大然と佐内の集落は跡形もなくなってしまったそうです。またぎ集落には必ず神社がありました。奇跡的にも16人がこの旧大然集落の神社である大山祇神社の高台へ逃げて助かったと云います。
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現在も雪解けの頃には赤石川が大増水するようです。2度と同じ被害を繰り返さないように、神社の存続と共に後世に伝えて欲しいものですね。
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末社稲荷神社。
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墓碑(明治)と地蔵様(大正5年9月23日吉川勝太郎建立)。
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1つは背を向けて倒れていました。
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神社からほど近い場所(鯵ヶ沢町自然観察館ハロー白神付近)に大然部落遭難者追悼碑が残されています。
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「昭和20年3月22日夜来の豪雨により流雪渓谷に充塞河水氾濫し舎氷雪に埋まり大然部落二十有戸悉く其影を失ふ夜来のこととて死者87名生存者僅かに16名のみ實に稀有の惨事たり爾来七星霜犬方の同情と復員者の苦闘により漸く復典の緒を見るに至る茲に浄資を集め遭難者追悼の碑を建て以て厥の冥福を祈らんとすと爾云 昭和26年11月 赤石村有志代表 村長正七位兼平清衛識」
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遭難者追悼碑にある地蔵堂や百万遍など。
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悲惨な出来事なだけに祈らずにはいられません。
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※追記:案内板が設置されていました。遭難者追悼碑…『昭和20年(1945)3月22日深夜、雪解け土砂の山津波によって、一夜にして消滅した大然村。今に残る災害遺産は、「集落が消える」という過酷な教訓を現代に語りかける。この遭難者追悼碑は、昭和26年(1951)、被災した集落の移転・復興が進むなか、建立された。水害の教訓から現在の高台が選ばれたという。大然の死者87名、生存者わずかに16名という大惨事を今に伝えている。』
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災害以前の大然村(昭和14年発行『月刊東奥』より)。
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災害発生直後の様子(昭和20年3月23日撮影)。
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関連記事:『佐内沢の岩山
さて、『青森の伝説』によりますと次のような伝説(「雨血場」「戻らずの沢」「河童の詫証文」)があります。
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『赤石川の上流で、赤沢というところに鬼があまた住み、村人を苦しめていた。津軽藩の遠祖光信は鬼を討つため、家来に大焚火をさせたり、山伏を集めてホラ貝を吹かせるなどして鬼をおびき出し、とうとうこれを滅ぼした。このとき戦ったところを雨血場といい、鬼が流した血で、川の水も石も赤く染まったので、赤石川という名になったという。この川の上流に、戻らずの沢というのがあって、一度入ったら戻ることができないという。この沢に大きな洞穴があって、ここに鬼神が住み、沢にはいって来た人を食うのだという。赤石川の上流にある種里部落、ここの川にネノコ淵というのがあって、河童が住んでいた。ある夏の暑い日に、村人がここで馬を洗っていると、河童が馬を水中に引きずりこもうとして、馬の尾にからまった。しかし馬の力に負けてそのまま馬屋に引っ張られ、キツ(飼料桶)をかむって隠れていた。それが家人に見つかり、あやまり証文を書いて、やっと許してもらった。河童の詫証文は「煮た豆に芽さすまで、枯木に花咲くまで、赤石川には来ない」というのであった。これ以来、赤石川には河童がいないという。』
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美しい川です。
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神社の近くには熊の湯温泉旅館があります。
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手負い熊が傷を癒すために浸かっていたという伝説のある温泉で、日帰り入浴も可能。
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映画わさおに出演した佐野史郎さんも川で転ぶシーンをこなした後、温泉に入ってビールと金アユを堪能したそうです。
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しかも温泉裏手には本物の熊もおります。
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小さくても近くで見ると迫力がありますね。
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