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曹洞宗巧樹山臥竜院。慶長4年(1599)津軽為信開基、清翁の開山と伝えますが不明な点が多いです。
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元々は鳳松院(弘前市)の旧地。鳳松院は慶長年間(1596-1615)に現在地に移ったとされます。
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菅江真澄が「雪のもろ滝」の中で次のように記しています…『種里村にはいって、臥竜軒という寺に、人からもらった紹介状をもって、たずねていった。この寺は、いま弘前にある鳳松院をここからうつして、そのあとに、ほろびないようにというので建てたものであるとか。住職の牧山達童上人の話をきいているうちに、日は暮れた』。
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大浦光信が赤石川の氾濫を鎮めるために軒下に竜を臥せて祀ったのが始まりで、同所にあった本山である鳳松院が弘前に移った際に、光信の墓守として臥竜軒を建立したという説があります。光信法号をとって巧樹山と称します。昭和17年に臥竜院となります。
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本尊は釈迦如来。
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裏に回ると墓所があります。
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種里八幡宮の拝殿が見えます。
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墓地から見た臥竜院。
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墓地の片隅に板碑があります。
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板碑のある場所が荒れ果てた墓地の跡のようになっており、似たような大きさの石もあるのでわかりにくいですね。
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板碑はこれ(下の写真)です。
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年代は南北朝時代(1336-1392)と推定。碑面の梵字は磨滅により不明。この一帯はかつては種里村の墓地でしたが、現在は山側の新しい墓地に移転しています。延徳3年(1491)に大浦光信が入部する前から種里に集落があったことを物語り、当時この地方に勢力を誇った豪族安藤氏の関わりが伺える貴重な史料です。
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