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嶽温泉(山のホテル横)にある稲荷神社で、参道は嶽温泉登山道を兼ねています。スカイラインとほぼ平行する登山道で、岩木山の数ある登山道の中では初心者コースです。
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左の道が登山道です。
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御祭神は倉稲魂命、少名彦命。延宝2年頃、岩木村百沢の野呂長五郎が薪材取りのため入山の際、稲荷大神の霊感によりて温泉(嶽温泉)を発見し、その霊験に感謝して倉稲魂神、少彦名神の二神を奉祀して稲荷神社と奉称したのが起源。明治6年、氏子数少数にて維持経営等困難のため廃社となり、旧県社高照神社に合祀。昭和24年10月10日、村人の敬神の念強く、氏神復活の熱意に燃えて高照神社より分離し再建。菅江真澄が次のように記しています…『近年までこの湯は山奥の谷かげにあったのを、ここにうつして、だけ温泉とはいま、この野をいっている。あらためて浴場をつくり、温冷、ふたつの湯ぶねは、かけ樋によってはるばると湯をひいて、ここに病人があつまってきた。草むらには稲荷の鳥居がみえ、詣でる人のわけいる姿がみえていた。』。
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『当社の創建年代は詳らかではないが、この地の温泉発見譚に野狐が関ることから、稲荷神社を建立したものと思われる。寛文年間(1661-)の頃、百沢村の野呂長五郎なる人が「シトギ森」(岩木山の紫柄沢の出口)に薪取りに行き伐木中、どこからか一匹の野狐が現れ、長五郎の昼飯を盗み逃げて行くのを、取り返さんと追いかけて行ったところ、狐はその飯を雪穴に落としたまま逃げ去った。長五郎がそこに至ってみるとあつい湯が湧き出て地面の雪が消えている所であり、初めて温泉となっていることを発見した。(岩木町誌より)以上が岳温泉の発見譚であり、当社は発見当時の野狐を祀ったとされている。稲荷神社の祭神は倉稲魂命とされ、古くから農耕豊穣の神として広く信仰されているが、その神使は狐とされ、このことから当地で稲荷神社を勧請したものと考えられる。当社の祭神は倉稲魂命、また病気平癒の神少名彦命であるが、鳥海山が薬師如来とされていることから、明治初年まで薬師如来も相殿とされていた。そのため、「薬師の宮」とも言われていたとある。平成7年12月』
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参道途中にある庚申塔(紀年銘安政2年)。
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社殿。
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狐一対。
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社殿内。
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