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参道入口にあった地蔵堂。
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岩木山の南西麓標高約450mの山間部に位置する枯木平村(旧岩木町常盤野)で、東は百沢村、北西は松代村(鰺ヶ沢町)、南東は大秋村(西目屋村)に隣接。文政12年(1829)に村名を常盤野村と改称(封内事実秘苑)したそう。
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岩木山の南西麓、岳温泉の南西約900mの台地上には常盤野遺跡があり、昭和34年に発掘調査が行われ、平安時代の方形の竪穴住居跡が4戸発見され、同時代の土師器・羽口・砥石及び鉄滓が出土。またI号住居跡内から多量の炭化材も発見されています。
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承応2年(1653)に3代藩主津軽信義が枯木平牧を開いています。津軽五牧の一つですが、積雪寒冷地のため経営困難を極め、天明・天保の飢饉では2度廃場されるも廃藩まで続きました。明治14年(1881)士族授産の農牧社、大正9年(1920)財団法人藤田農牧場(経営主藤田謙一)となり、昭和3年(1928)藤田育英社とともに東奥義塾に受継がれています。
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山間部とはいえ、社殿の周囲には沢山の猿とカモシカがいてびっくり!!驚きの光景に写真こそ撮れませんでしたが、まるで動物園みたいでした。私の気配に気付くやいなや一気に森へと散って行きましたが、数分後にはまた猿が数匹寄って来ました。熊がいなくてよかったー。
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きっと神社の周囲が嶽きみ畑に囲まれている所為かも知れませんね。食べかけと思われる嶽きみが転がっていました。
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当大山津見神社の建立年月日及び由緒は不明。
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大山津見神は古事記の神産みにおいて伊邪那岐命と伊耶那岐命の間に生まれた山を司る神です。
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社殿真裏には御祭神が刻まれた巨石があり、紀年銘は明治廿五年七月廿日でした。
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