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目鹿沢村枝村の沖萢村に位置します。天和4年の村絵図では沖村とあり、また元禄2年頃には沖之萢とあります。内見秘書では天保年間に沖萢村とあります。この地区は津軽氏の重臣兼平中書の所領とされていたため、兼平姓が多いです。
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沖萢村西端の墓地付近に九頭竜権現(水神様・産土神、無格社)があります。由緒は不詳ですが、元々この一帯が萢であったために開墾に苦心して祀ったものと伝えられています。『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)によりますと、「沖萢の産土神は九頭竜権現で、赤茶の稲荷社の相殿に闇おかみ神が祀られ、昔、小池があったという。」とあります。
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現在は池が無く、社殿も比較的新しいもののようでした。
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なお、九頭龍神社の沿革について兼平喜太郎氏が聞き書きしたものがあるのでここに原文のまま記します。『私が子どもの頃祖母から聞いた話では、もともと大昔には現在の場所に九頭龍神社があったそうですが、何かの事情で南の方約300m位離れた場所に移転鎮座させたそうです。ところが昔はどこの家でも農耕馬を飼っていて、朝夕馬の運動と水浴のために現在の神社の前の道路を人が馬に乗って駆け足で走り往復していた。ところが何故か現在の神社前にさしかかると不思議にも人が馬から落ちる事故が時々おきて、怪我人がでたり又村人にも何人も長病人が続いたりして、大変困った時代があったそうです。そんな時にある村人が不思議に思ってある神様(占い師)のところへ行って拝んでもらったところ、神社の神様は元の場所に鎮座したいのだというお告げがあったそうです。村人達は早速現在の場所に再び移転鎮座させて、信仰を深めたそうです。その後はいくら馬を走らせても落馬する人もなくなり、村中にも明るさが戻り和気あいあいと生活を営むことができるようになったそうです。』

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