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青森県黒石市大字上十川長谷澤二番囲。長谷沢神社から更に東(浄仙寺方面)へ進んだ付近。黒石市指定民俗文化財(昭和62年1月10日指定)。
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案内看板の屋根が…雪でしょうねぇ。
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案内看板より…『通称獅子が沢には鹿の頭を彫った大きい石と小さい石があり、「獅子が沢のしし石」と呼ばれています。この地方では鹿のことを「しし」と言うことから、このような名称が付けられました。造られた年代については不明ですが、江戸時代の紀行家菅江真澄が寛政10年(1798)に紹介していますので、これ以前から存在していたことがわかります。鹿が彫られた理由は不明ですが、山子芸術の一種、鹿の供養、しし頭を埋める風習などの説もあります。また絵を描いた石は珍しく、県内でも貴重な文化財です。見学の際は、車をここに止めて見学してください。左手を歩いて約10分の場所に「獅子が沢のしし石」がありますが、車の乗り入れは禁止します。』平成13年10月31日。
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ってことで歩いて登っております。
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道は比較的整備されているので歩きやすいです。
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到着。
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標柱が倒れかけています。
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山桜が倒れています。
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山奥だし、豪雪だよね。
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しし石は大小2基あります。大きい石には8頭の鹿の頭。小さい石には2頭の鹿の頭が彫られています。
※2019年追記…少なくとも20頭以上彫られていることが、弘前大学人文社会科学部と黒石市教育委員会の調査で分かったそうです。
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郷土史によれば次のように紹介されています…『一つは高さ三尺一寸五分巾五尺五寸、一つは高さ五尺五寸巾も五尺五寸のものである。何れも天然石で大きい方は一面に蘚蒸して地膚を見せない。この石の東南に面した方には標識が幾つも施されてゐるが著しいものは三つ見出される。(中略)石面の標識は鹿面様に直線記號を綴り合わせたもので明かに見ゆる三つは何れも二本の鹿角を生やした鹿面とも獅子面とも又鬼面とも思はれる大形のものだ。そして三体とも異った意標であるが何れも鹿角、目、鼻、口と見ゆるものは付されてゐる。或は古代文字又は標識の型とも見せられる。右三面の外に右方に當り小形な彫刻も数個見ゆる。又中央下部に稍や方形の深い寧ろ穴と呼ぶ事の適切な部分が一個ある。(中略)二十間ばかり離れて小さい方の石がある。石質は前者より硬いが…(中略)…鹿角は割合に小形で顔部は比較的大きい。左方のものは稍や鬼面様に見ゆるが右方のものは全然記標の寄せ集めであって顔面には見えない。この石の彫刻は次第に磨削して不明になりつつある。されど左方の下部に上十川村と刻されてるものがよく現はれてゐる。(中略)右兩者の標識は樵夫達の流し木の所謂木印の類なるべく此處の森林時代にこの澤目の樵夫共が運木の際木材の卷積の標示か積量の標示か乃至は先民時代の遺風なる木材又は獸獵特に鹿に關する或供養のために刻されたもので所謂錦木塚に類したものかも知れない。』
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昔、獅子石の前で唄を謳うと刻まれた獅子が踊り、時には笛太鼓で囃しながら謳うのが聞こえるという言い伝えもあります。また、次のような言い伝えもあります。年に一度は必ず獅子衣装を箱から出すのべきなのに、お上から獅子踊りが禁制になった頃があったそう。獅子は娑婆恋しさに箱を内から鳴らすようになりました。これは気味が悪いというので村人は獅子衣装を今の石のところに埋めたそうです。ところがどうしても娑婆が見たい獅子はいよいよ石の面に表れたといいます。
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※下は菅江真澄が描いた獅子が沢のしし石(「真澄遊覧記」第32冊所収「追柯呂能通度」・国立国会図書館デジタルコレクション)
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再訪記事:『獅子が沢のしし石(黒石市)』
関連記事:『獅子ヶ沢の清水』

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