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ある資料にて、弘前市高屋(旧岩木町)に死坂なる坂道を発見しました。死坂沿いには弘法清水(清水がどこかはわかりませんでした。しかし一町田付近、高屋から鳥井野、更には湯口の石戸神社に至るまで、低落差断層をなしており、それに沿っていくつかの清水が湧いています。これらの水は低温過ぎるために稲作には向かず、芹栽培に利用されるといいます。)と身代地蔵菩薩があります。
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旧岩木地区の道沿いにはいくつかの餓死者供養塔を見つけることができます。大飢饉になるととりわけ急勾配な坂道において、多くの方が空腹のあまりに倒れこんでそのまま亡くなったという歴史が数多く残っています。
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例えば弘前市内の県道126号線久渡寺新寺町線もそうでしたが、現代において勾配こそ緩和されたものの、かつての道沿いには餓死供養塔や地蔵堂などが今も残っています。
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そしてその多くは飢渇坂と名付けれていることが多いのですが…いやはや死坂とは…ストレートです。近年までその坂道の由来が残っていないのはその所為でしょう。
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高屋の中心(標柱が建てられている場所)に身代地蔵菩薩が残っていました。
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施錠のため中は確認できず。
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身代地蔵菩薩の建物前には百万遍(明治19年旧10月)。
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鯵ヶ沢街道から高屋の愛宕神社(境内に文化7年及び寛政9年の飢饉供養塔あり)にかけてのこの通りこそ死坂かと思われます。
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現在は勾配はさほどなく、かと言って周辺の道には平坦な道もなく、すべてが坂となる地形でもあります。
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付近にあった「甲子御宝塔」、「南無妙法蓮華経大黒福壽天神」、「南無妙法蓮華経 天下泰平国土安穏 五穀成就 萬民快楽 日慈」等を刻む石碑。
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