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県道41号線沿いにある身代地蔵尊から少し入った場所にあります。
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御祭神は天照皇大神。
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龍の石柱がかっこいい。
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一つは狛犬っぽい顔にも見えます。
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さて、貞享4年検地水帳によりますと、観音堂地1畝余があります。
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古来観音堂として信仰されていた神明宮は、西隣の松館村と松崎村との共同の産土神として祀られ、天文年間(1532-1555)までは守山神明宮と呼ばれていたそう。貞享4年検知水帳にも村中抱えの観音堂地一畝一八歩が記されています。津軽一統志には「守山の儀不詳大光寺近所に館山と云所あり、是を其頃守山と名付るか」とあり、守山を館山とする説もあります。
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宝永2年の神社調には元禄3年(1690)の建立とあり、上記の観音堂も合祀しましたが、明治初年の神仏分離に際して観音堂は廃され、明治4年に神明宮に改称し、明治20年には共同氏子だった松館村側から分離して独立の神明宮を建立。
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狛犬一対。
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本殿前にも狛犬二対。
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ここにはかつて御神馬がいたのかな。
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石灯籠と本殿建築寄附人名碑。
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手水舎とその後ろのグニャグニャの木。
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巨木だったであろう切り株。
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末社。
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この神明宮の地は天正4年(1576)に大浦為信が第二次大光寺城を攻める際に本陣を構えた松館跡の地(もしくは館山館)らしいのですが、遺構についてはよくわかりませんでした。なお、昭和42年に通称坊主屋敷と呼ばれる林檎園から、5612枚の中国銭が発掘され、最も新しいものでも約700年前で、曾我氏か安東氏時代のものと思われます。
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御由緒略記…『舘山神明宮所在地を守山と明記してあり、大浦為信の旗揚げ当時には既に守山神明宮を本陣として、天正3年大浦勢正月元日第二次大光寺城を攻め、落城の際に大浦為信が本陣を構えて指揮したという史実から推して見ても古社であり、舘山松舘松崎三村の御産土神様として崇敬されています。松舘址』
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