イメージ 8
仙台総鎮守大崎八幡宮。
イメージ 9
ちょうど一之鳥居前ににるーぷる仙台が停まりました。
イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
二之鳥居。
イメージ 13
『寛文8年(1668)4代藩主伊達綱村公により寄進されたもので、旧領であった東山郷(現岩手県一関市東山町)より産出した御影石が使用されている。柱裏側の銘文は儒臣内藤閑斎によるもので虎岩道説により刻された。昭和63年に御鎮座380年記念事業として国道48号線に面して一之鳥居が建てられた事から、二之鳥居と称されるようになった。』
イメージ 14
大石段。
イメージ 15
イメージ 16
『慶長12年(1607)の大崎八幡宮創建時からのものとされる。緊張感のある急勾配のなかにも均衡のとれた石段で98段とも100段とも言われる。昭和10年4月に発起人清野甲工氏を始め160名の有志により手摺が寄進され現在の様相となった。』
イメージ 17
大石段横には石灯籠があります。
イメージ 18
イメージ 19
大石段上に狛犬一対。
イメージ 20
イメージ 21
イメージ 22
イメージ 23
三之鳥居。
イメージ 24
イメージ 25
『享保3年(1718)五代藩主伊達吉村公により寄進されたもので、篇額の「八幡宮」の3文字は藩主・吉村公自身の揮毫である。その後幾度か建替・修復がなされたが、篇額の文字は建造当時のものであり、「八幡宮」の3文字の周囲は伊達家の家紋である「日の丸」「竹に雀」「丸の内に三ツ引両」「九曜」「蟹牡丹」「竜胆車」の6紋の装飾紋で飾られている。平成16年に御鎮座400年記念事業の一環として漆塗修復がなされた。』
イメージ 26
綺麗に整備されている参道。
イメージ 27
イメージ 28
石灯籠。
イメージ 29
社務所。
イメージ 30
イメージ 31
『社務所は大広間、貴賓室を配する「社務所」と、主に事務を取り扱う「旧宮司宿舎」とに棟が分かれ、渡り廊下で繋ぎ一体となっている。大正後期に八幡宮の整備事業の一つとして新たに建てられたもので、良質な木材を吟味して使用され、広い間取りと書院造りを基調とする優れた近代和風建築として、平成23年7月25日に国の登録有形文化財に指定されている。』
イメージ 32
イメージ 33
広場。
イメージ 34
神馬舎とお休み処鞍。
イメージ 35
神馬舎は国の登録有形文化財。
イメージ 36
イメージ 37
『八幡宮の御神馬の厩として大正期に建造され昭和20年頃まで御神馬がいたという。建物は桁行3間半・梁間3間、入母屋造り、桟瓦葺き、面積およそ10坪。平成22年に元の場所から東へ約8m程度移され、解体修理が施された。平成23年7月25日、近代和風の優れた厩建造物として、国の登録有形文化財に指定される。』
イメージ 38
イメージ 39
イメージ 40
御神木。
イメージ 41
大好物。
イメージ 42
遥拝所。
イメージ 43
『年間の祭典行事の折、由縁あるところに対し拝礼する場所です。2月11日・紀元祭・梶原神宮、4月29日・昭和祭・武蔵野御陵、10月17日・神嘗奉祝祭・伊勢神宮、10月20日・地久祭・皇居、12月23日・天長祭・皇居。皆様も故郷の神社やご家族、ご友人、お知りあいの方などに思いを込めましょう。』
イメージ 44
手水舎。
イメージ 45
イメージ 46
金刀比羅社。
イメージ 47
イメージ 48
イメージ 49
沼田豊前正藤原茂密石像。
イメージ 50
イメージ 51
『年代は不明であるが、子息の沼田豊前正茂明により作成された。八幡宮の社家である沼田家8代目茂密は、垂加神道を学びつつ、祠官の大場山城と共に境内の整備に尽力し、大崎八幡宮中興の祖となった。本石像の裏面にはその功績が刻されており茂密の生涯を覗い知ることができる。』
イメージ 52
大崎八幡神社社殿重修碑。
イメージ 53
殉國碑。
イメージ 54
『支那事変、大東亜戦争戦没者慰霊のため、昭和34年2月8日、八幡地区遺族会によって建立され、八幡地区339名の英霊芳名が刻まれている。戦後50年を迎えた平成7年まで毎年慰霊祭が斎行された。碑の文字は、当時の靖国神社宮司であった筑波藤麿氏によるものである。』
イメージ 55
皇太子殿下御成婚記念植樹(昭和34年4月10日。杉5000本・櫻20本。)。
イメージ 56
自動車祓所。
イメージ 57
高野槇。
イメージ 58
『木曽地方より西に広く自生するスギ科の常緑高木。和歌山県の北西部にある高野山に多く産することから高野槇の名が生まれたと言う。平成18年9月12日に、命名の儀において秋篠宮悠仁親王のお印とされた。樹齢は約400年と推測され、宮城県以北の自生はないため創建当時に植栽されたものと思われる。』
イメージ 59
狛犬一対。
イメージ 60
イメージ 61
イメージ 62
イメージ 63
神輿殿。
イメージ 64
イメージ 65
『江戸中期の製作と云われるこの神輿は六角形の鳳輦型をしており、大正12年に続き、平成7年には御鎮座390年を記念して修復され、漆の塗りかえが施された。毎年9月15日の例大祭に氏子崇敬者が奉舁して町中を巡幸する。重量は約500kgあるが霊代を遷すと1t以上になると昔から言い伝えられている。』
イメージ 66
北参道鳥居。
イメージ 67
『御鎮座400年奉祝事業の一環として平成17年11月に建造された。木材には樹齢250-300年の青森ヒバ、袴石には茨城県産の御影石が使用され、重厚な雰囲気を醸し出している。高さ約7m、幅8.4mと木造の鳥居としては県内では最大規模を誇る。』
イメージ 68
北参道手水舎。
イメージ 69
イメージ 70
『この手水舎は、昭和56年表参道長床前に建てられたもので、御社殿保存修理事業を前に一時撤去されていましたが、北参道鳥居建設に伴い、修理を施し平成19年11月に移設致しました。また手水鉢は元文5年(1740)に当時の氏子7名によって奉納されたもので、新たに敷設された敷石との対比に歴史の重さを感じさせます。』
イメージ 71
北参道。
イメージ 72
美しい本殿の屋根が見えます。
イメージ 73
イメージ 74
長床。
イメージ 75
イメージ 76
桁行9間・梁間3間、入母屋造こけら葺。中央入口の上に軒唐破風をつけています。
イメージ 77
別名割拝殿などとも呼ばれており、本殿の華やかさに比べて落ち着いた様相を呈しています。社殿より少し遅れて創建され、長床としては宮城県最古の遺構。
イメージ 78
中央には通り土間があり、その両側の室は板敷の床となっています。
イメージ 79
イメージ 80
内部には彩色された絵馬などがあります。
イメージ 81
イメージ 82
イメージ 83
イメージ 84
イメージ 85
祭儀棟。
イメージ 86
イメージ 87
西廻廊。
イメージ 88
宮城県の様々なスポーツチームの必勝祈願絵馬が飾られていました。
イメージ 89
お待たせしました。
イメージ 90
社殿です。
イメージ 91
イメージ 92
美しいですね。
イメージ 93
イメージ 94
御由緒…『平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく、守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県奥州市水沢区に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後室町時代に奥州探題大崎氏はこれを自領、現大崎市田尻に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。大崎氏の後は、仙台藩祖伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地を神域と定め、政宗公の命により慶長9年(1604)工事が始められ、3年後の慶長12年に遷座祭が行われ、仙台藩総鎮守として鎮座されました。この際、旧領の羽前国米沢にて代々尊崇しておりました成島八幡宮も共に祀られました。御社殿造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代一流の工匠が京、大坂、和歌山などから招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されたもので、藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、仙台62万石の総鎮守として伊達家の威風と桃山美術の絢爛たる息吹とを今に伝えております。毎年9月には15日を中心に例大祭が行われ、藩政時代より続く流鏑馬神事や宮城県指定無形民俗文化財の能神楽、八幡町ゆかりの雀踊り、そして総勢500名を越す神幸祭(神輿渡御)などが盛大に斎行されます。又、1月14日には正月送りの神事として全国的に有名な、正月飾りを焼納する松焚祭(どんと祭)が行われ、2000名を越す裸参りの参拝や、一晩で10万人の参拝者が訪れ終夜境内を賑わします。』
イメージ 95
イメージ 96
イメージ 97
御神徳『当宮は仙台総鎮守として藩祖伊達政宗公はじめ歴代仙台藩侯はもとより、仙台城下の人々に至るまで厄除け・除災招福や必勝・安産の神として篤く尊崇されてまいりました。又、仙台における「卦体神」という十二支の神を信仰する習俗においては乾(戌亥)の守護神とされ、戌歳・亥歳生まれの人々からは格別の崇敬を受けております。この様な歴史的背景から、当宮は現代においても仙台市民はじめ数多の崇敬者から心のよりどころとして仰がれております。』
イメージ 98
イメージ 99
御社殿の建築と工匠…『大崎八幡宮の御社殿は、仙台藩祖伊達政宗公の命により慶長9年から12年にかけ、豊臣家召抱えの梅村日向守家次・梅村三十郎頼次・刑部左衛門国次・鍛冶雅楽助吉家といった当世随一の巨匠を招き造営されました。御社殿の内外にはふんだんに極彩色で彩られた彫刻が施され、随所にきらびやかな飾金具が取り付けられた黒漆塗りが絢爛豪華さの中に落ち着いた風格を現し、全体的に美しい調和をなし、また拝殿内部には、狩野派の絵師佐久間左京の筆に成る唐獅子の障壁画や大虹梁の青龍、石の間格天井には数十種の草花が描かれ、豪奢な桃山時代の気風を感じることが出来ます。内部の彩色は創建当初の彩色がそのまま残され、また後の日光東照宮につながる形式(相の間造り又は石の間造り)である権現造りの現存最古の建造物として、桃山様式を代表する大変貴重な存在であり、昭和27年に社殿全体が国宝に指定されております。又、御社殿前の長床は創建年月不明ながら御社殿とほぼ同時期の建築として国より重要文化財の指定を受けており、その建築様式は、御社殿とは対照的に、簡素な素木造りから成り、その対比による階調には桃山文化の粋を窺い知ることができます。平成11年度からは、6ヶ年度をかけて国庫補助事業として、御創建以来初めてとなる大規模な御社殿の保存修理工事が行われ、創建時の美しさを現代に甦らせました。それに合わせ、御社殿周囲の環境整備事業を行い、祭儀棟、神輿殿、透塀、西廻廊などを建設し、平成18年に御鎮座400年奉祝記念大祭を盛大に斎行し現在に至っております。』
イメージ 100
最後に境内社を紹介します。
イメージ 101
大元社。
イメージ 102
イメージ 103
イメージ 104
『大元帥明王が祀られ邪鬼を懲らしめ福を招く神として尊崇せられる。創建は不明であるが元禄11年(1698)の古図には記載されている。厨子には享保4年(1719)仙台藩五代藩主伊達吉村公が武運長久子孫繁栄を祈念し勧請したことが記されている。現社殿は昭和56年に再建されたものである。』
イメージ 105
諏訪社。
イメージ 106
イメージ 107
鹿島社。
イメージ 108
イメージ 109
北辰社。
イメージ 6
イメージ 7
北辰社の隣。
イメージ 5
山神・水神(安政5年)。
イメージ 3
イメージ 4
龍神社と狛犬一体。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
イメージ 2