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平川市李平字上安原。貞享4年検地水帳によりますと、村抱えの観音堂地2畝余があります。永正2年(1505)浅石城主7代目千徳左衛門政久の家臣である天内治右衛門が社殿を建立して馬頭観音を勧請(李平神社の南側が馬場。※永正5年とも。これ以前の李平村は浅瀬石城の一部であり、浅瀬石総鎮守羽黒宮の氏子)。以後、崇染堂と称せられ、永禄3年(1560)李平村にて社殿を改築しますが、天正3年(1575)焼失。※慶長2年浅瀬石城主千徳政氏が大浦為信に滅ぼされてから李平は津軽領。※天内氏の先祖については不明で、一説には南朝衰微の昔、京都から津軽に貴人が落ち延び、流転の後子孫が浅瀬石城の客分となって李平に居住。慶長2年浅瀬石落城の際に天内館城主天内庄八郎常貞が戦死。
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寛永6年(1629)9月19日に上髙木村は李平村と改称され、村中で馬頭観音像を鋳造して御神体となし社殿を再建し鎮守祭を行っています。正保元年(1644)村中にて社殿を改築し産土神として崇敬。享保3年6月19日、天内治兵衛が現在地に御堂を新築して観音堂となり、更に天保元年6月19日村中で御堂改築して産土神としました。明治3年には神仏混淆仕分により馬頭観音像を弘前市最勝院に納め、軻遇突智神社への改称を願い出るも許可がおりず、保食神社に改められました。
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明治6年には一時新屋町村貴船神社に合祀し、同9年6月18日に村中で現在地に復社。御祭神は保食神(宇氣母智神)。祭日は旧6月19日(現7月19日)。現在の拝殿は昭和48年改築。
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本殿。
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御神馬一対。
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狛犬一対。
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文字が大きくてとても読みやすい!…『保食神社の草創は古く、永正2年(466年前)に社殿を建立以後幾星霜を経、明治42年、現社殿を新築して65年目昭和48年に改築、竣工。吾等一同相計り、手水舎を奉納し、仍て、茲に記念碑を建立する所以なり。昭和49年7月19日建立』
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手水舎。
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保食神社修復記念碑。
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末社稲荷宮。助丈盛(長盛)にあった李平の某旧家の氏神を現在地に遷したもの。
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庚申塚。
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