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貞享4年検地水帳によりますと石川村(乳井・八幡館・鯖石・小金崎・薬師堂・石川・大沢・森山の合併にて成立)に行人の立海坊がいて、正福院抱えの観音堂と毘沙門堂があったといいます。
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また、近くの堂ヶ平山北側中腹には毘沙門天・不動明王・観音菩薩を祀る堂社があり、弁才天が併祀されていますが、古伝によりますと藩政時代に市応寺という修験の寺であったと言われます。金光山市応寺は一大修験場として栄えました。なお、鎌倉時代初期には熊野系修験の福王寺がありました(堂ヶ平燈明杉の所)。
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ここはかつての森山村で、鎮守の毘沙門堂は延暦12年(793)創立と伝え、文永元年(1264)の再建。上記との関連は不明ですが毘沙門天を祀る修験の寺であったのかも知れません。
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狛犬一対。
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社殿。
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本殿。
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再建年の文永元年に山城ノ国相良郡の正八幡宮の神主山中伊豆守貞詮の二男山中之太夫正義が森山の麓の杉ノ沢に居住しており、この山中家が毘沙門堂を兼ねていたともいいます。その山中家の屋敷跡からは延慶2年(1309)の板碑が発見されており、現在は神社近くの墓所の一画に保存されています。
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こちらがその板碑です。
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ちなみに境内地には現在弘前の禅林街にある正伝寺の跡地(開基:文禄4年、三ッ目内村の金竜寺末寺)があります。
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馬頭観音。
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奥の茂みの中に末社が見えました。
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石や神像などが祀られており、昭和29年4月23日奉納の絵もありました。
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参照:『青森県の名水
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