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大釈迦交差点の丁字路の所にあります。かつてはここに曹洞宗梵珠山元光寺がありました(現在は浪岡大字徳才子字山本)。道沿いには六地蔵がおります。
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入口に二十三夜塚や庚申塔がありました。
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こちらは元光寺跡に残されている地蔵堂。中には大小たくさんの地蔵が丁寧に祀られていました。
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写真暗くてすいません。
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参道途中にある梵珠会館。
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夕方の4時過ぎだったのですが、鎮守の杜にて、上に行くほど暗くなりました。
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境内にはライトがあったので少し助かりました。
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結構足にくる不規則な石段参道。
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青森県神社庁によりますと、御祭神は大美那能売命。漢字的には見慣れない御祭神ですが、大宮能売命のことです。
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草創は不詳。
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元々は梵珠山中に鎮座していたそうです。
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火災によって焼失後、柳久保村内沢田に移り、更に明治43年に現在地に移転。明治初年には相殿として熊野宮と春日神社がありました。
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狛犬紀年銘:明治17年6月15日。台座碑文…『鎌田福藏、鎌田傳十郎、天内辰藏、鎌田福次郎、對馬與之助、高橋万次郎、倉内福助、小笠原半次郎、久保田定右エ門、齋藤豊次郎、對馬丹藏、猪股長右衛門、丸山卯之吉、猪股甚五郎、倉内萬■、猪股七右衛門、相馬勝次郎、齋藤午之助、西村勘次郎、猪股孫三郎』
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2つの小祠があります。
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左には御神馬。
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右には石塔のようなものがありましたが暗くてよく見えず。神宮大麻もありました。
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小祠の前には小さな御神燈(安政5年8月・松前福山城下泊川心太屋善兵衛)があります。この御神燈について少し説明します。田名部からの恐山参道に丁塚石(約109mごとに距離を刻んだ石造の道路標識)があり、これは文久2年(1862)恐山千年祭を目標とし、安政6年(1859)から造立され始めたそう。八十丁付近を境にして松前福山の天屋善兵衛が寄進した丁塚石がたくさんあるそうで、天屋善兵衛は丁塚石奉納の中心人物であり、海産物や北前船と関係が深い豪商と推測されています。この天屋と心太屋は同一であり、つまり天屋善兵衛と心太屋善兵衛は同一人物であると考えられます。恐山参道の丁塚石には大釈迦村の伝十郎と高橋金之丞の名もあり、善兵衛は安政4-5年頃に丁塚石の寄進に応じた両人に接し、その交換として柳久保神社の小祠に御神燈を奉納したと考えられているそうですよ。
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