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御祭神は譽田別尊。旧郷社。今別の中心社です。
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石段を上ると…
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跨線橋参道。
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撮り鉄も安心です。
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貞享4年検地水帳によりますと、今別村に門徒宗正行寺屋敷、八幡社地、観音堂地、山神社地が見えます。
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今別八幡宮は永禄3年建立。正保2年再建。永禄日記に「七月外浜今別城主平杢之介殿奥方立願ニ而八幡宮御堂建立仕直候由。九月御堂入有之貴賤見物致候」とあり、また延宝7年の今別村八幡宮覚に「右御堂ハ永禄三年八月吉日源ノ朝臣(北畠)具運卿御建立、其後正保二年竹内六左衛門造立仕立仕候」とあります。
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安政2年神社書上帳によりますと、末社として、弁天宮、稲荷宮、神明宮、山神宮があります。
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明治5年に今別神社となり、昭和43年頃に今別八幡宮に改称。明治初年には熊野宮と稲荷神4社を相殿としています。
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青森県神社庁HPによりますと、平城天皇の御代、大同2年、今渕(現在の今別)へ勧請と伝えます。藩政時代の記録、津軽藩の永禄日記によりますと、今別城主平氏の息女が浪岡城主北畠具運卿に嫁いだのを記念し、北畠卿が竜飛から今別の浦の平安のため、石清水八幡神を勧請して再建。120年後の延宝8年(1680)の堂社帳にも同じ記述あり。
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宝永2年の社堂縁起によりますと、お宮の外に2間に5間の神楽殿がありました。
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昭和25年、津軽線敷設のために境内地200坪あまり譲渡。
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例大祭は旧八月十五日。神幸式はその日に行われ、永禄4年にも行われたとの記述あり。過疎化の時代を迎え、神輿渡御式は昔の盛大さを取り戻せない現状ですが、氏子・崇敬者によって敬神の念は維持されています。
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本殿前の狛犬。
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参道の狛犬(平成6年7月)が新しいものでしたが、その台座が2段になっていました。
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恐らく下の台座(明治40年5月)はこちらの狛犬のものでしょう。
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更に本殿前の狛犬。
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こちらは日本海の海運によりもたらされたもので、江戸時代前期の海運史を考察する上で貴重なものとなっています。
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山岸屋太兵衛奉納一対(高さ48cm、長さ43cm、巾15cm)。越前国新保浦(現福井県坂井郡三国町)山岸屋太兵衛が明暦4年(1658)6月に奉納。
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上林武兵衛奉納一対(高さ42cm、長さ39cm、巾15cm)。越前国新保浦(現福井県坂井郡三国町)上林武兵衛が万治2年(1659)3月に奉納。
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参集殿。
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