岩木山麓の東南端に位置しており、集落の南東を岩木川支流の後長根川が流れます。
御祭神は宇迦之御魂命。
本藩通鑑録に「蒔内村館主蒔内八右衛門」とあり、かつては蒔内とも書かれ、地内には中世の蒔内氏の居館である蒔苗館跡があります。蒔苗は天文年間に浪岡の北畠氏が編纂したとされる津軽郡中名字の鼻和郡に「大浦七郷本郷蒔苗ト云フ」とある古村。蒔苗館跡は後長根川の左岸の字油伝にあり、西に空堀を残します(東・北側の堀であったと見られる所は用水堰になっています)。東西約150m、南北75mの平城で、土師器や須恵器が出土。南隅には山神の小祠。現在は大部分がりんご園で、南東側は民家。東の小館と呼ばれた地域は原形を留めていません。蒔苗館の西(蒔苗館の防禦陣地と推定)にある旧村社が当稲荷神社です。※石灯籠紀年銘は宝暦13年
創建不詳ですが、岩木山麓東南の蒔苗を拓いた蒔苗八右衛門(蒔内村館主)の(約700年前頃)の御所祷所の宮とある記録 (安政2年神社微細社司由緒調書上帳) により、その頃の創建と考えられます。
また、当地方の社堂縁記社堂書上帳(元禄15年、宝永元年、宝暦9年、安政2年等)に社名の記載あります。
明治44年9月8日、神饌幣帛料供進指定。昭和21年3月27日、宗教法人令に依り宗教法人になります。
狛犬と狐。
本殿。
摂社八幡宮。
こちらの碑は嘉永の紀年銘かな。中央に正一稲荷宮と刻みます。
こちらは読めない。
なかなか広い境内です。
末社群。
力士稲荷山藤吉之碑(大正14年旧7月7日第7回忌)。
村社稲荷神社拝殿改築紀念碑。
末社白山神社。貞享の検地帳に見える甚之丞抱えの白山堂地かな。私社白山堂の御祭神は菊理比賣命。明治5年に廃社となり後に村民が再建。※油伝の私社八幡宮(誉田別命)、私社愛染堂(村中抱えの堂、八幡宮に合祀された愛宕神社で蒔苗館の館神と推定)も合祀されていると思われます。
常會設立記念「白山神社」蒔苗第二常會建之。
庚申塔と由来碑(大正8年)。
『古来我村社地は西北方は平坦なるも東南方は断崖にして是か修築事業は多年氏子の念願なるも其機を得す此を遺憾とし單身私財を以て数千円を投し間地土止工事を施し社地の風致を改変したるのみならず神社の壮厳更に一段を加へたり此の人即ち蒔苗松氏なり氏は本村に居を有し土木建築の請負を業とし敬神の思想特に深く常に其鼓吹に努む氏子の人相図り碑を建て氏の高徳を記し以て永久に傳へんとす 昭和十一年旧六月十日建立 蒔苗村氏子中』
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